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超古代文明研究の難しさ:レムリア文明のコミュニケーション手段考察


 
レムリア大陸・レムリア文明の存在という大きな仮説テーマに対しては、人類学という大きな研究テーマのなかで、さまざまなアプローチがなされ、物証が集められているのが現状であり、「レムリア大陸やレムリア文明が存在していた」とする仮説の是非について、まだまだ結論を出す段階ではない、といえそうです。

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人類の祖先の化石発見といった、生物学的見地に立った発見が、レムリア文明やレムリア大陸に端を発する、人類学的研究の材料となることに期待したいところですが、ここではもう一歩考察を進めて、人間特有の機能のひとつである、「思考する、考える、言語化する」というところにフォーカスして、レムリア文明を生きた人々のコミュニケーション手段や水準について、考察していきます。

 

超古代に文明社会が存在するための前提

「レムリア大陸やレムリア文明が、人類発祥に関連する存在である」とするならば、生物学的な観点や、地学的な観点で、物証を集めて検証を進める(いわば「状況証拠による研究」のようなものです)ことは可能です。しかし、ここへきてひとつの疑問が生じます。超古代、人類が現在の状態ほど高度な文明社会を築いていなかった時代に、非常に高度な文化水準とコミュニケーション能力を有していたというレムリア文明に暮らしていた人々は、いったいどのような「人類」であったのでしょうか。

 

「思考」は化石化しない

人間の思考や、コミュニケーション能力というものは、化石化したり、できたりするものではありませんので、当時の人々と直接コンタクトをとるなどしない限りは、何万年も経てしまった現代において、刑事ドラマのように「今現在入手できる事実を積み上げる」ことは困難です。文字や文献などから、思考水準やコミュニケーション手段を推し量ることはできます。たとえば、レムリア文明に関連する文献として、タミル人に伝わっている「サンガム文学」などから、当時の思考水準や価値観を推測することは可能です。しかし、言語化の手段や記録方法、当時の人々の思考など、「後世にまで伝承することが困難な要素」について、すべてを明確化することは、物証として残っていない以上、非常に困難である、と考えられます。

 

常識の範疇でくくりきれない可能性も

さらに、物証が存在していたとしても、現代において常識的に考えられているもの、既に証明されているものをベースに検証することは可能ではあっても、レムリア文明に生きる人々が、未知の能力を持っていたとすれば、すべてを推し量ることは難しいのではないか、と考えられます。

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カテゴリ: その他

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