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精巧な出来栄えの坤輿万国全図とメガラニカ大陸(後編)

メガラニカ大陸

 

17世紀のイタリア人宣教師、マテオ・リッチが作成したといわれる古地図、坤輿万国全図の存在は、当時の日本や中国、西欧の「世界地図の認識」を知ることができる、歴史的に貴重な存在である、といえます。
この地図のうえで存在しているとされる、メガラニカ大陸は、オーストラリアと南極を合わせた形で描かれています。
これは、16世紀のマゼランの航海時代に、西欧でも信じられていた「南半球の大陸存在説」に沿った形と考えられますが、17世紀時点で、既に西欧ではメガラニカ大陸の存在が否定されかかっていた、といわれています。

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当時の地図としてはかなり精巧な出来栄えだった

16世紀の冒険家、マゼランやドレークが、世界一周やそれに準ずる航海を敢行していた時代、メガラニカ大陸の存在可能性が、彼らの冒険のモチベーションになっていたことは、よく知られたところなのですが、当時の技術においては、既にかなり精緻な地図を描くことが可能であったことがわかっています。
つまり、世界地図として、メガラニカ大陸以外は、かなり精巧な出来栄えだったと思われるのです。

 
更にそのルーツを辿ってみると、13世紀頃の十字軍によるイスラム圏遠征の時代にまで遡る、といわれています。
イスラム圏で手に入れたと思われる世界観や、それに基づいた世界地図が、当時の十字軍を通じて、17世紀に活躍していた宣教師に伝承されていたのではないか、と考えられます。
十字軍の時代、イスラム圏では、既に南方の大陸についての仮説が存在していたのではないでしょうか。

 

 

メガラニカ大陸とその時代に生きた人々のモチベーション

こうして考えてみるとメガラニカ大陸は、十字軍がイスラム圏に接触した13世紀頃以降から、当時の経済活動や、学術的な研究活動等の原動力として存在していたことがわかります。
オーストラリアや南極大陸の発見によって、西欧ではその存在が消滅したかに見えましたが、同時代に存在した坤輿万国全図を見ると、イタリア人宣教師による中国宣教や、鎖国時代の日本への地図輸入などを介して、ユニークな解釈や認知がなされ、独自ナレッジ化していったことがわかります。

 

 

事実はどこにあるかわからない

キリスト教とイスラム教、鎖国時の日本と西欧、かつての冷戦時の米ソ関係など、「厳然たる事実」とされている事象が、受け入れる国の文化や解釈によっては、事実なのか伝承なのか、はたまた伝説のようなものなのか、一概に決め付けることは難しい、といわれています。
日本には「信じるものは救われる」、とのことわざもありますが、実はメガラニカ大陸は、人々の意識や解釈の中だけではなく、現在も世界のどこかに実在し続けているのかもしれません。

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カテゴリ: その他

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