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河童が遺したもの(1)良い河童と悪い河童の詫び証文

カッパ

河童は全国各地にその伝承が遺っていますが、似たような河童の話というのがあります。
その典型的なものが「河童の駒引き」と「河童の詫び証文」。「河童の駒引き」とは、河童が水辺にいる馬を川の中に引込んでしまう話で、日本各地にあるのですが大抵は河童が失敗してしまうというもの。馬を引込むはずが逆に馬に引きずられてしまい、人間に見つかって捕まってしまいます。

 
人間に捕まってしまった河童が、もう悪さやいたずらはしませんと遺したものが「河童の詫び証文」というわけです。
人気テレビ番組だった「まんが日本昔ばなし」にも、「カッパのわび状」という題名で河童の詫び証文を題材にしたものがあって、それはこんなお話です。

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自分の娘の嫁入り衣装にと綿畑を荒らした河童

「岐阜のむかし話」から採られたお話だそうですが、いまの岐阜市を流れる荒田川の川べりでは多くの綿が栽培されていたそうです。ある日、五作じいさんの綿畑が何者かによって摘み取られ荒らされていました。

 
その日から毎晩荒らされるものですから村は大騒ぎとなり、それを耳にした了福寺の和尚がある夜に綿畑に忍んでいると、川のあたりから畑に入って来るものがいます。それを和尚が捕まえると、犯人はなんと河童でした。

 
捕まえた河童に、どうして綿畑を荒らして綿花を摘むのかと質すと、河童は「実は自分の娘が満月の夜に嫁入りすることになり、晴着を着させたいために綿花を盗んだのですが、綿と種をどう分ければよいかわからずに困っていたのです」と打ち明けます。それを聞いた和尚は、亡くなった妻が嫁入りのときに被った綿帽子を河童に渡し、解き放してあげました。

 
満月の夜に和尚から貰った綿帽子を娘に被らせ、無事に嫁入りを終えた河童は翌朝、二度と悪さをしないと記した詫び状とお礼の品をお寺に置いていったということです。

 

 

河童が遺した手形証文

「まんが日本昔ばなし」の河童は、娘思いのとても心温まるお話なのですが、岩手県北上市の染黒寺に伝わる河童は、なかなか悪い河童のお話です。

 
江戸時代のこと、北上川は船で物資を運ぶ交通の要路で、船から降ろした荷は馬が運びました。そのようなことから染黒寺でも馬を飼っていたのですが、ある日のこと、河童がお寺の厩に入って馬を殺してしまったのだそうです。

 
それを見つけた染黒寺14代の仏国大器和尚が、河童を捕まえました。「おまえはよく悪さをして、人間に迷惑ばかりかけている。おまけに寺の馬まで殺してしまい、私はおまえを殺してしまいたいが仏門につかえる身としては殺生ができない。だから今回は見逃すが、二度と悪さをするな」とこんこんと説教をし、河童に詫び状として手形を押させ「営山」と書かせて北上川に離したそうです。
この河童の詫びのしるしの手形とあばら骨を拓本にした紙が今でも染黒寺に遺っていて、「カッパの手形」と呼ばれているそうです。染黒寺では、毎年10月10日に境内で河童太鼓が奉納され一般に公開されます。

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