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『失われたムー大陸』で語られるムー大陸消滅までの顛末とは?


 
ジェームス・チャーチワード氏の著書『失われたムー大陸』によると、7~5万年前には誕生していたというムー大陸と、そこに暮らす人々による文明社会は、東西8,000キロメートル、南北5,000キロメートルという広大な陸地に、人口およそ6,400万人という規模で、高度な文明を築いていた、とのことです(日本の国土との比較では、優に100倍以上の面積に、半分程度の人口であったようです)。太陽を神(唯一の宗教で、天地創造神の位置付け、とのことです)として崇め、ムーの紋章も、太陽を形どったものであった、としています。

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周辺国への植民活動を進めたムーの住民たち

やがてムー大陸の人口は増加し始め、東西から全世界へと植民活動を始めたようです。植民地では、ムー帝国の流れを汲む、「太陽神の子」という称号のものが、植民地を納める、といった形がとられていたようで、その中には、史実として捉えられている、エジプトのファラオや、インカ帝国のインカ(皇帝を意味するそうです)、日本における天皇家、現在の中央アジアやモンゴル地域が該当するウィグル帝国なども含まれるそうで、植民地は全部で17個存在していた、としています(ちなみに日本に対しては、現在の国旗のイメージや、「日いづる国(最初に太陽が昇る極東の国)」といった表現が定着していることなどから、ムー大陸の伝統を今も強く残している、直系の子孫である、との見方をしているようです)。

 

天変地異により沈んだムー大陸

植民地の拡大とともに、ウィグル帝国やナガ帝国といった大きな集団が形成されていきましたが、天変地異による大洪水などが起こり、海底に沈没してしまいます。ムー大陸の本体や植民地における帝国をもとに、沈没を避けて避難した先々で、後に築かれていったのが、世界4大文明をはじめ、マヤ文明やアンデス文明などの古代アメリカの文明である、としています。現在、国や言語、人種が違えど、洪水や天変地異にまつわる神話や民話が多かったり、その内容に類似点が多く見られるのは、ルーツがすべてムー大陸での出来事にさかのぼることができるからである、としています。

 

各宗教のルーツもムー文明?

また、現在全世界に浸透しているキリスト教やイスラム教、仏教などの教えの根底にある考え方も、全世界の人々が一緒に暮らしていたムー大陸にそのルーツを持っている、としています。たとえば蓮の花は、インドやエジプトの古代文明や、古代ユダヤにおけるソロモン王の神殿などで象徴的に取り扱われており、そのルーツがひとつ、つまりムー文明ではないか、と考えることは、それほど不自然なことではありません。真相は今も解明されていませんが、ムー大陸がすべてのルーツであるとする仮説は、検証の価値がありそうです。

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カテゴリ: その他

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