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ムー大陸?!与那国島海底遺跡は自然地形か、人工加工物か

与那国島 海底遺跡
 
1986年に、沖縄は八重山諸島与那国島の南部、新川鼻の海底で、地元のダイバーによって発見されたという不思議な海底地形は、通路のように見える隙間や、階段状の壁など、人工的に作られたように見えることから、古代文明の遺跡ではないか、といわれています。このため、与那国島海底遺跡と呼ばれているのですが、これが、伝説のムー大陸の遺跡ではないか、という説があります。

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遺跡かどうかは現在も賛否両論

この遺跡のような海底地形は、琉球大学の木村政昭教授らのグループによって調査が進められ、1998年には沖縄県文化局に対し、遺跡発見届けが提出されています。しかし、考古学や地質学関係の学会への提示や論文発表がおこなわれていないこと、木村氏は理学部教授であり、遺跡関連の専門家ではないことなどから、現時点では「遺跡かどうか」の判断は確定しておらず、賛否両論が唱えられています(木村氏と同じ琉球大学の准教授である中村衛氏や、元沖縄県埋蔵文化センター所長の安里嗣淳氏など複数の専門家が、遺跡説ではなく自然地形説を唱えています)。

 

発見された巨大な一枚岩

この海底地形は、東西約250m、南北150mという巨大な長方形の一枚岩に、さまざまな加工が施されているように見えます。古代の遺跡説や自然地形説のほかにも、石切り場だったという見方や、神殿説、墓説なども存在し、現在も喧々諤々の議論が継続しています。この中で、12,000年前に消滅したといわれている、ムー大陸に関係しているのではないか、という説も含まれているのですが、この説の根拠として、与那国島だけではなく、北谷(ちゃたん)町砂辺ビーチの沖合いの海底で見つかった巨大な城壁のようなものや、慶良間(けらま)の海底のストーンサークルのようなもの、粟国島(あぐにじま)の7つの穴など、近年になって沖縄周辺の広範囲な海底から、次々と人工加工物とも考えられるような物体が見つかっていることがあげられています。

 

琉球諸島、大陸地続き説

地質学の推論によると、今からおよそ200万年前は、琉球諸島は中国大陸と地続きであった、とされています。その後、数十万年という長い周期で、何回かの氷河期を経て水没の時代と隆起の時代を繰り返し、現在に至っている、と考えられています。なかでも、13,000年前頃に起こった水没では、海面が100メートル程度も上昇して、かなり広範囲にわたって水没が進んだ、といわれています。この時期はムー大陸やーアトランティス大陸の伝説における「大陸消滅時期」とも一致しているため、不思議な海底地形が発見されるたびに、ムー大陸などの伝説と結び付けられている、とのことです。専門家による海底地形調査が進むことに期待したいところです。

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カテゴリ: その他

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