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座敷わらしに会いに行こう!(1)旅館 緑風荘

座敷わらし

 

東北地方のなかでも岩手県には、座敷わらしに会えると言われている旅館や民宿があります。
特に有名なのが、岩手県二戸市金田一温泉の「緑風荘」という旅館。ここの母屋は築300年もの古い建物で、奥座敷の「槐(えんじゅ)の間」という部屋に座敷わらしが現れると言われ、多くの政治家や企業人、文化人など著名な人々が宿泊する宿としても知られていました。

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ユタとふしぎな仲間たち

緑風荘が一般に知られるようになったのは金田一温泉と緑風荘が、作家の三浦哲郎が1971年に刊行した児童小説「ユタとふしぎな仲間たち」の舞台となったからです。三浦哲郎は宿泊した緑風荘の座敷わらしにインスピレーションを受け、この小説を書きました。

 
物語では直接的に旅館の名前は出て来ませんが、東京から転校して来た少年・ユタが新しい環境に馴染めず村の子供たちからのいじめにも遭うのものの、座敷わらしと出会い友だちとなることによってたくましく成長していきます。
この小説は劇団四季によってミュージカルとなり、緑風荘と座敷わらしも広く知られるようになりました。

 

 

著名人が宿泊し出世のきっかけとなった!?

緑風荘は旅館としては1955年の開業ですが、当主の五日市家には古くから著名な人々が宿泊しました。総理大臣となった原敬や米内光政、福田赳夫などの政治家や、本田宗一郎、松下幸之助といった企業人も宿泊していて、もしかしたら座敷わらしに出会っていたのかも知れません。

 
五日市家は南北朝の時代に、北朝に敗れて現在の東京都の五日市に逃れ、更に東北の陸奥の国(岩手県)まで落ち延びた南朝方の武将を先祖に持つ旧家で、南部藩では庄屋として村を代表していました。
座敷わらしが現れる母屋は日本最古の「南部曲り家」だったそうですが、2009年に火災が起こり全焼してしまいました。

 

 

緑風荘の座敷わらしはご先祖様

五日市家の先祖の、南朝の後醍醐天皇に仕えた藤原朝臣藤房という武将が陸奥の国に北上する道中に、一緒に逃げていた2人の子供のうちの6歳の兄の亀麿が病で倒れてしまいます。そのとき「末代まで家を守る」と言って亡くなったそうで、この亀麿が五日市家の守り神である座敷わらしになったと伝えられています。
南北朝時代は14世紀で後醍醐天皇が崩御したのは1340年のことですから、緑風荘の座敷わらしは670年くらい前のご先祖様だということになります。

 

 

火事に遭って全焼した緑風荘

緑風荘は2009年10月に、座敷わらしを祀る「わらし神社(亀麿神社)」を残して全焼してしまいました。それではこの火事の際に、座敷わらしはどうしていたのでしょうか。
ご当主の新聞のインタビューによると、母屋も新館も土台が傷んでいて、もし1年半後の東日本大震災に遭っていたら倒壊して、多くの犠牲者が出ていたかも知れない状態だったそうです。

 
それがこの火事では怪我をした人も誰もおらず、逆に助かったのかも知れないのだとか。300年前に母屋が建てられたときも、火災をきっかけにこの地に建て替えられていて、今回も新しく建て替えろという意味で火災が起こったのかも知れないとインタビューでは話されています。
緑風荘は再建が始まり、2016年には営業が再開されるそうです。

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