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エフェソスのアルテミス神殿と建設当時の地理的状況

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世界の七不思議は、古代ギリシャ・ローマ時代に、ビザンチウム(古代東ローマ帝国の首都で、現在のイスタンブールの辺りを指します。330年にコンスタンティヌス1世がこの地を首都としたため、コンスタンティノポリスの別名を持っています)のフィロンという人物が著した「世界の七つの景観」という記録の中で、当時の地中海地方に存在したといわれる巨大建造物を七つあげたことが発端、といわれています。もとの意味は「景観」であったのですが、英語の「wonder」のニュアンスが「不思議=怪しい、不確かなもの」といった意味に訳されて、「七不思議」という訳が定着し、現在に至っています。当時ビザンチウムの周辺は、小アジアという名称で分類されていました。現在使われているアジアとは違ったニュアンスに聞こえますが、どのような経緯で小アジアとされていたのでしょうか。

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アジア大陸の最西部の西アジアを指す

現在のアジアの一般的な概念としては、日本や中国、朝鮮半島や、東南アジアと呼ばれるタイやシンガポール、インドネシアといった地域がイメージされるところなのですが、英語圏においてはトルコ周辺のアジア部分を指して、小アジア、またはアナトリア(またはアナトリア半島)と呼んでいます。同じトルコの中でも、東部分が小アジアとして言及される例は少なく、小アジアはもっぱらトルコの西部から中部にかけての地域を指しています。トルコ東部には、ヨーロッパ地域や、沿岸部にギリシャ領の島々が存在するのですが、こちらは小アジアではなく、ヨーロッパという分類になります。日本においては、東部分のイメージが定着している、といえそうです。

 

アジアとヨーロッパを結ぶ場所

アナトリア=小アジアは、地理的にアジアとヨーロッパの接点、境界線にあたる地域のため、紀元前の昔から文明の発祥地となっていることで知られています。英語圏ではかつてこの地域を指して、単に「アジア」と称していましたが、その後さらに東方には、広大なアジア地域が広がっていることが判明したことで、トルコ地域を区別して小アジアとしたようです。別名であるアナトリアの語源は、ギリシャ後のアナトリコン(日出るところの意味)である、とのことです。

 

女神アルテミスは小アジア共通の神だった

エフェソスのアルテミス神殿に祀られている女神アルテミスは、紀元前11世紀頃のエフェソス(小アジアに位置する、古代イオニア地方の首都)を含む小アジア全域で崇められていた女神であり、アルテミス神殿には、小アジア地域全体から、多くの参拝客がつめかけていた、といわれています。建造物の規模とあわせて、小アジア全域の聖地となっていたことも、七不思議のひとつにあげられた理由である、と思われます。

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カテゴリ: その他

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