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世界の七不思議「エフェソスのアルテミス神殿」の概要

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紀元前2世紀頃、ビザンチウム(現在のトルコのイスタンブールにあたります)のフィロンという数学者(旅行家でもあります)によって提唱された「世界の七不思議」は、中東や地中海地域の大きな建造物に集中して提唱されていることが特徴ですが、現代まで完全な形で残っている建造物は、エジプトはギザにある大ピラミッドのみであり、その他は遺構(建造物が建っていた区画や痕跡)のみ残っている状況です。この七不思議のひとつに、エフェソスのアルテミス神殿があります。

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エフェソスの場所と位置づけ

まずエフェソスのアルテミス神殿の言葉の意味を紐解いてみると、エフェソスは現在のトルコにあたります。また、アルテミスは、ギリシャ神話に登場する狩猟・貞潔の女神(月の女神ともいわれています)です。直接の意味合いとしては、地名プラス、祀っている神の名ということで、日本でいうところの神社のような位置付けの建造物であった、と思われます。後述するように、もともと神殿=宗教的な意味合いを持っていたことで、国教や外来宗教の移り変わりの中で、放火や破壊、再建を繰り返し、現在は残骸のみで、原型をとどめていない、建造物の痕跡です。

 

アルテミス神殿の遺構

エフェソスのアルテミス神殿があったとされる場所は、現在のトルコにあるイズミルという港町から、南に約50キロメートル下ったところで、この地域の古代都市名がエフェソスという名前であったことから、この地に残る「何らかの建造物の残骸」が、エフェソスのアルテミス神殿の遺構ではないか、と考えられています。現在の姿は、神殿の原型をまったくとどめておらず、大理石の柱の破片がわずかに積み上げられている程度の風景を見せています。

 

アルテミス神殿が作られた時期

今はまったく原形をとどめていないエフェソスのアルテミス神殿ですが、もとは紀元前700年頃に原型が作られた後、一旦キンメリア人(紀元前9世紀頃に現在の南ウクライナ地域に台頭していた、遊牧騎馬民族)によって破壊された後、紀元前550年頃に、クレタ(現在のギリシャにある島)の建築家であるケルシプロンと、その息子といわれているメタゲネスによって設計され、当時のリディア(現在のトルコ地域)の王であるクロイソスの負担によって建設(厳密には再建)された、とされています。その後紀元前356年頃に放火によって再び消失し、紀元前323年にはもう一度再建されたようですが、その後エフェソス地域にキリスト教が台頭するなかで、エフェソスのアルテミス神殿は完全に破壊されてしまい、現在に至っています。

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カテゴリ: その他

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