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龍の子伝説(2)川を作った龍の子供

龍の伝説

 

かつての人気アニメ「まんが日本昔ばなし」のオープニングに使われていた、子供が龍の背に乗って空を飛ぶシーンのオープニング映像は、松谷みよ子さんの児童文学である「龍の子太郎」をモティーフとしたものです。
そしてその元となったのは長野県・上田に伝わる「小泉小太郎」という伝説、そして同じく長野県・松本の「泉小太郎」という伝説です。

 
「龍の子太郎」の物語は、龍の姿になって去ってしまった母を太郎が探しに旅に出る物語ですが、松本の「泉小太郎伝説」は上田の「小泉小太郎伝説」よりもこの物語に近い内容になっています。

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>>龍の子伝説(1)日本昔ばなしの子供は伝説の子供だった
 

母の龍の背に乗って川を造った子供

古代、景行天皇12年頃(4世紀前半か?)には、安筑平野(松本を中心とした中信地方)は四方の山々から水が流れ込み、大きな湖だったのだと言います。
この湖に「犀龍」という龍が棲んでいて、その東の高井郡の高梨というところにいた白龍王という人と結婚して、八峰山(はちぶせやま/現在の鉢伏山:標高1925.5m)で泉小太郎を生みました。
しかし、母親の犀龍は自分の姿が醜くて恥ずかしいと湖の中に姿を隠してしまいます。

 
小太郎は放光寺山のあたりで育ちますが、やがて行方のわからない母を探し、尾入沢(松本市内)というところで再会することができました。

 
母は「わたしは諏訪大明神の化身で、人間たちを繁栄させるために龍の姿になっているのです。
この湖の湖岸を突き破って水を流し、人里をつくりましょう」と小太郎に言います。

 
そこで小太郎は龍の背に乗って山清路(さんせいじ/東筑摩郡生坂村山清路)の巨岩を突き破り、さらに水内(みのち)の橋下(上水内郡信州新町久米路橋附近)の岩山も開いて湖の水を流し、千曲川から越後の国の海まで流して行ったので、人々が住める大地が生まれました。
このことから、小太郎が母の犀龍に乗った犀乗沢から千曲川までを犀川と呼ばれるようになりました。
その後、小太郎は有明の里(北安曇郡池田町十日市場)に住んで、その子孫は繁栄したと言います。

 

 

想像が広がる泉小太郎伝説

信濃の「安曇(あづみ)」という地名は、南からやってきた海人族である「安曇族」が切り拓いた土地と言われ、この「泉小太郎伝説」はその開拓伝説を伝えているという説があります。

 
日本には漁業や海上輸送などで活動した「海人族」という人々がおり、安曇族はその主要な氏族でした。
海人族は、古代に現在の中国南部やインドシナ、インドネシア方面から日本に渡って来たと考えられており、安曇族は筑前の国の志賀島(福岡市東部)を本拠地にしていたとされています。
そこから日本各地に移住し、海に接する土地ばかりでなく川を遡って内陸にも移り住んで行きました。
信濃の安曇野はまさにそういった安曇族が辿り着いた土地で、一族の本拠地となったとも考えられています。

 
泉小太郎伝説で小太郎の父は白龍王という人ですが、安曇野市にある穂高神社では白龍王は「綿津見神(わたつみのかみ)」の生れ変わりとしているそうです。
この綿津見神は、海を治める神で安曇族が祖先としている神です。
また「山幸彦、海幸彦」の神話で、山幸彦が訪れたのが綿津見神の龍宮城(?)であり、山幸彦はその娘の豊玉姫と結ばれています。

 
このようなことから泉小太郎伝説は、もしかしたら海の龍神と信濃の地元の湖に棲む龍女との間に生まれた子の伝説だったのかも知れませんね。

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