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大雄山最乗寺(神奈川)は天狗の持つ神通力で建てられた?!

天狗
 
箱根の外輪山の北東側にある神奈川県南足柄市に、大雄山最乗寺という曹洞宗のお寺があります。開山は室町時代中頃の1401年。曹洞宗の大本山であった能登の総持寺16世の住持・了庵慧明(りょうあんえみょう)という禅僧が、生まれ故郷の相模の国に帰り創建した禅の修行の専門道場です。

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小田原駅から伊豆箱根鉄道大雄山線とバスを乗り継いで30分余りで行くことができ、霊気あふれる山林のなかに多くの堂塔が建つ、箱根から続く豊かな自然のなかの大きなお寺です。地元では「お道了尊」や「道了さん」と親しみを持って呼ばれ、多くの参拝者やウォーキング客が来訪しますが、実はこの最乗寺、天狗に大きく関係のあるお寺としても知られているのです。

 

天狗の神通力?で建立されたお寺

大雄山最乗寺を開山した了庵慧明禅師は、現在の神奈川県伊勢原市の生まれです。禅師は50歳半ばに能登の総持寺から相模の国に帰ると、ある日、1羽の大きな鷲が禅師の袈裟をつかんで足柄山へと飛んで行き、大きな松の枝に掛けて飛び去るということが起きました。
禅師はこれを奇瑞として、この足柄の山中に最乗寺を建立します。
そのとき了庵慧明禅師のもとに参じて、不思議な力を発揮し大寺の建立に尽くしたのが、修験道の行者であった「道了大薩埵(どうりょうだいさった)=道了尊」という人です。この道了尊が発揮したのが天狗の神通力であり、道了尊自身も天狗になったという伝説が遺っています。

 

道了尊の500人力の神通力

道了尊はもとの名を妙覚といい、はじめ後光厳天皇の皇子で京の聖護院門跡の覚増法親王に仕え、大和の金峰山、奈良の大峰山、熊野三山という名だたる修験道の霊場で修行をして奥義を究めました。そして滋賀県の三井寺園城寺で最高の学位である勧学の座にあったときに、了庵慧明禅師が大雄山を開山するということを知り、禅師を助けに空を飛んでやってきたと言われています。
道了尊はひとりで500人分の力を発揮して最乗寺の建立に従事し、1年あまりでこの大寺を完成させたということです。

 

道了尊、大雄山を護る天狗となる

1411年に了庵慧明禅師が亡くなると、道了尊は「これからは山の中にあって大雄山を護り、多くの人々を救う」と五大請願文を唱え、天狗となって山中へと身を隠しました。
その姿は烏天狗の顔を持って白狐の上に乗り、右手に降魔の輪杖を持ち左手に縛魔の剛縄を握り、火焔を背にすると言いますから、天狗を使役するという「飯綱大権現」の姿とほぼ同じです。ですから道了尊は別名「道了大権現」とも呼ばれ、また「十一面観音」の化身とも言われています。

最乗寺は以降、この天狗となった道了尊がシンボルとなり、仁王門から三門へと続く道は「天狗の小径(こみち)」と呼ばれるほか、結界門の右側には大天狗(鼻高天狗)、左側には小天狗(烏天狗)の像があり、奥の院へと至る石段の途中にも大天狗と小天狗の像が参拝者を迎えます。

結界門の先は道了尊の浄域とされていて、天狗の履物である高下駄が多数奉納されています。ちなみにこの天狗の高下駄は、下駄が左右一対揃ってはじめて役割を果たすことから、夫婦和合の信仰の象徴ということだそうで、世界一の大きさの高下駄もあります。

なお、東京の下北沢には分院である「大雄山真龍寺」があり、毎年節分の時期には下北沢で「しもきた天狗まつり」が開催されています。

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