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【アカシックレコード】19世紀。唱えた人物は迫害された?

アカシックレコード

アカシックレコードを初めて提唱した19世紀の人物として、一般的にはロシアのヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーと、オーストリアのルドルフ・シュタイナーの名前があげられています。
特にルドルフ・シュタイナーについては、同時期に台頭していたあのナチスドイツの母体であるナチス党に、目の敵にされていた、というところがあったようです。
アカシックレコードという概念が生まれた背景には、民衆の支持、ひいては支持を生み出す社会不安、というものがあったといいます。

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第二次世界大戦の大きな原因の一つは不景気?

アカシックレコードというキーワードの発案者のひとり、ルドルフ・シュタイナーが、当時ドイツやオーストリアで提唱していた人智学は、今でも日本を含めて世界中でよく知られている文学者のヘルマン・ヘッセや、当時の著名な大学教授であるフォン・ブルーメなどの支持を集め、次第に大きな勢力なっていった、といいます。

民衆を含めた大きなうねりが発生するところには、必ず「敵対勢力」が発生してくるものなのですが、このときもトゥーレ協会という、後のナチス党の母体となる秘密結社が存在していました。

1920年頃には、ルドルフ・シュタイナー率いる人智学に関する新聞記事や講演会などが、あからさまに妨害されるようなことも頻発していた、といいます。

さらに、ルドルフ・シュタイナー本人も、ナチス党が放った暗殺者にあやうく銃撃されるところが未遂に終わった、というような事件も起こっていたようです。

こういった不安定な政治状況や世論の背景には、当時巻き起こっていた「世界大恐慌」という大きな不景気によって発生した、先行き不透明な状況と、それらの影響をダイレクト受ける、一般民衆の「思い」がありました。
こういった中で、概念として一気に広がりを見せたのが「アカシックレコード」です。

 

戦犯扱いまでしてシュタイナーを迫害

ナチス党のヒトラーは、ルドルフ・シュタイナーや人智学を、完全に「政治的脅威」とみなしていたようで、「第一次世界大戦におけるドイツの敗北の戦犯は、ルドルフ・シュタイナーである」とまで喧伝していたようです(実際シュタイナーと、第一次世界大戦当時のドイツのある将軍は、親友関係にあったようなので、ヒトラーの説はあながち「大外れな主張」ともいいきれないところもあります)。

アカシックレコードが19世紀から現代にまで継承されている大きな要因の一つは、当時の政治的な背景もさることながら、一国の命運を握らんとする人物の政策を左右するほど、一般の民衆の思想や生活に対しる影響が多大であったことを示すものである、といえそうです。
こういった事象を背景に、アカシックレコードは生まれてきたのです。

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カテゴリ: その他

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