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”七不思議”ハリカルナッソスのマウソロス霊廟が建設されるまで

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世界の七不思議のひとつに数えられている、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟は、現在のトルコはボドルムに存在していた、といわれています。紀元前350年頃に完成したとされるハリカルナッソスのマウソロス霊廟ですが、現在では廃墟となっていて、その面影は残されていません(ただし、近年に発掘により発見された数々の痕跡は、遺跡となったハリカルナッソスのマウソロス霊廟跡の隣に建てられた博物館や、イギリスの大英博物館などに納められていて、現在でも閲覧可能な状態となっています)。小アジア西部のカリア国で、紀元前377年頃~紀元前353頃に統治者として君臨していたマウソロスの墓として作られたこの建造物は、どのような経緯で建設されたのでしょうか。

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カリア国の領土拡大

野心家であったとされる父の跡をついで、カリア国の統治者となったマウソロスは、姉妹であるアルテミシアを妻とし、小アジアの南西部全域を支配すべく、20年以上にわたってこの地で活躍していたのです。このときに、マウソロスがカリア国の首都として建設した都市が、ハリカルナッソスになります。ギリシャの国にあこがれていたマウソロスは、ギリシャのポリスに相当するような強靭で難攻不落の都市を建設しようとしていました。ハリカルナッソスを拠点として、領土拡大を狙っていた、というところです。

 

マウソロス王の死

絶大な権力を誇っていたマウソロスとその妻アルテミシアですが、マウソロスは志半ばで紀元前353年、亡くなってしまいます。アルテミシアは、夫であるマウソロスに感謝の意を示そうと、生前から霊廟、つまり夫の墓の建設計画に着手します。これがハリカルナッソスのマウソロス霊廟です。霊廟の完成は、結局マウソロス、そして妻のアルテミシアの死後に完成することとなるのですが、現代にも世界の七不思議として名を残すほどの豪華絢爛、かつ巨大で立派な霊廟だった、とされています。

 

悲しみの果てに

マウソロスの死後、統治下のロドス島が反乱を起こしますが、アルテミシアの機転で鎮圧に成功します。しかし、夫の死からわずか2年後に、アルテミシアも後を追うように亡くなってしまいます。アルテミシアは、夫が亡くなった際には、悲しみの余り、夫の遺灰をワインに混ぜて飲んだ、という伝説を残し、今でも献身的な妻の象徴として語り継がれています。マウソロスとアルテミシアの遺灰は、死後も離れることなく、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟に一緒に納められたのです。

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カテゴリ: その他

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