朱雀と日本の古代年号の謎。「朱雀」という年号があった?
中国神話の霊獣から東西南北を司る四神が生まれたのは、紀元前5世紀の初めから始まる戦国時代の頃のことだと考えられています。その頃、天体に「二十八宿」という28の星座のエリア(宿)が定められ、それが7宿ごとに4つの方角にまとめられて、それぞれに東方は「青龍」、北方は「玄武」、西方は「白虎」、南方は「朱雀(すざく)」と霊獣が充てられました。その後「陰陽五行思想」のもとに、中央を含めた5つの方位に5色の色や万物の5元素が結びつけられて行きます。
それでは、この四神が日本に伝わって来たのはいったいいつの頃だったのでしょうか?
日本の古代に朱雀という年号があった!?
日本最古の四神の極彩色壁画が発見された「高松塚古墳」と「キトラ古墳」は、どちらも飛鳥京と平城京との間にあった藤原京の時代(694年から710年)のものであると考えられています。ですから四神は、この時より前には日本に伝わって来ていたわけですが、それがいつの頃なのかははっきりとしません。
ところで、日本の元号がいつから始まったのかをご存知でしょうか。
日本で最古の正史とされる日本書紀では、元号は「大化の改新」で有名な「大化(645年から650年)」から始まり、これが日本で最初の元号であるとしています。それまでは何何天皇の何年と記されていて、皇極天皇4年の孝徳天皇の即位の時から元号が使われ始めたということです。
その後、当初こそ年号の無い期間もありながら、現在まで1400年近くも続いているわけですが、この元号が始まった飛鳥時代に実は「朱雀」という年号があったようなのです。なぜ、ようなのですと言うかというと、この「朱雀」という年号は実は日本書紀には記載がなく、一般に「私年号」と呼ばれる正史には記載されていない年号のうちのひとつだからなのです。
白鳳と朱雀は幻の年号なのか?
一方で日本書紀には、「朱鳥(しちょう/すちょう/あかみどり)」という、686年の8月から10月までのわずかに期間に充てられた年号があります。また大化の次は「白雉(はくち)」という年号になり、これは650年から654年のことで、その後の朱鳥まで32年間の空白期間があります。
しかし、平安時代の初期に編纂され日本書紀のあとの時代の歴史を記した「続日本紀」には、聖武天皇の724年の詔(みことのり)のなかに「白鳳以来。朱雀以前。年代玄遠。」という一文があって、「白鳳」「朱雀」という元号の時代があったような記述があるのです。この2つの年号がいつのことなのか、後代の様々な文書から「白鳳」には650年説、661年か662年説、672年説などがあり、「朱雀」も672年説、686年説、687年説など諸説様々です。
また、大和朝廷とは異なる九州王朝の年代であるという説もあり、現在でもはっきりとはしていません。ですが、聖武天皇の詔のなかに出て来るのですから、古代にはしっかりと認識されていた何らかの年号であったということなのでしょうか。
朱雀は飛鳥時代に元号になるほど認知されていた
ここで注目したいのは、正史の年号の「白雉」と「朱鳥」と私年号とされる「白鳳」と「朱雀」という、色と鳥が組み合わされた名称の元号が飛鳥時代の頃に並んでいるということです。
白雉の年号は、白いキジを穴戸国(長門国)の国司が献上した祥瑞(吉兆のこと)に由来するとされ、また朱鳥は赤いキジに由来するという説があります。白鳳は白いオオトリということですが白雉の別称であるという通説もあり、正史の年号に入っていないにも関わらずこの時代の文化を総称して「白鳳文化」と言うなど良く知られています。朱鳥や朱雀も赤い雉のことを言うのだという説もあり、赤雉も祥瑞とされています。
これらの年号がそれぞれ相対するのか、それとも別の年号なのかは謎ですが、この時代に日本で元号にするほどの朱雀についての認識があったのは間違いないでしょう。この飛鳥時代から高松塚古墳とキトラ古墳の藤原京の時代に、朱雀そして四神は日本において重要な存在だったのかも知れません。