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青龍と白虎~数千年前から東西を司っていた対の霊獣

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奈良県の明日香村で1972年3月に発見された「高松塚古墳」、それから11年後の1983年11月に同じく明日香村で発見された「キトラ古墳」の2つの古墳の石室の壁には、「四神」と呼ばれる4種類の霊獣の姿が描かれていました(高松塚古墳で見つかったのはひとつ少ない3種類の霊獣ですが)。

この四神とは、古代中国から伝わって来た天と大地の東西南北の4つの方位を司る霊獣のことで、東を司るのが「青龍」、西を司るのは「白虎」、北を司るのは「玄武」で南を司るのが「朱雀(すざく)」とされています。

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高松塚とキトラの2つの古墳が造られたのは、ともに7世紀末から8世紀初めの藤原京の時代と考えられていますが、どちらも誰が埋葬されたのか、またどちらが先に造られたのかは諸説あってはっきりとはしません。しかし、どちらが先かにせよこの2つの古墳の壁画が、今のところ日本で見られる最も古い極彩色の四神の姿であることに間違いはないでしょう。

 

中国では新石器時代から青龍と白虎がいた

それでは、本家の中国で最も古い四神の霊獣が見られるのはどこでしょうか? それは河南省濮陽市(ぼくようし)の「西水坡(せいすいは)遺跡」であるとされています。西水坡遺跡は、紀元前5,000年から紀元前3,000年の頃に黄河中流域にあった新石器時代の「仰韶(ぎょうしょう)文化」のもので、この遺跡の第45号墓には北側を頭に地面に寝かされた埋葬者の人骨の左側(東側)と右側(西側)に、バイ貝の貝殻を埋込んで描かれた2つの地面画がありました。

東側に描かれたのは龍と思われ、西側のものは虎と考えられています。つまり東の青龍と西の白虎なのです。ちなみに北の玄武と南の朱雀は描かれていません。おそらくは、この青龍と白虎の貝殻による地面画が現在発見されている最古のものです。

 

東西の墓道を護る青龍と白虎

なぜ、四神のうちの青龍と白虎なのか? 古来、中国では青龍と白虎を一対と捉えていたそうです。

唐の時代(618年から907年)の初期の古墓では、墓室に至る墓道の入口近くの東西両壁にそれぞれ青龍と白虎の姿を描きました。唐の第9代皇帝である玄宗の兄で、はじめは皇太子であった李憲(譲皇帝)の陵墓の墓道の壁面には、長さ7mもの巨大な青龍と白虎が描かれています。

この時代の墓道の東西両壁の青龍と白虎は、それぞれ墓から外に向かって出るように描かれました。墓室は北側、墓の入口は南側にありますから、つまり東の壁の青龍は右に向かい、西の壁の白虎は左に向かって歩み出す姿というわけです。

やがて霊獣の壁画は墓室の中に描かれるようになり、南の朱雀が加わり、北の玄武が描かれる四神が揃うようになったのは8世紀頃のことです。しかしその後、唐代の後期には四神を描くことはなくなったそうです。

ですから中国の古墳で四神が揃って描かれた時代と、日本の高松塚・キトラ古墳の四神が描かれたのは、ほぼ同時代のことになるのでしょうか。

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