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偉大なる錬金術師ニコラス・フラメルの功績と伝承

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1330年にフランスで誕生し、出版業に従事しながら、スペインはサンティアゴ・コンポステーラに巡礼し、『アブラハムの書』という錬金術やカバラの秘法書の解読に成功したというニコラス・フラメル。彼は巡礼の道中、秘法書解読によって得た錬金術の圧倒的な力によって財を成すことに成功し、スペインに戻った後、教会や礼拝堂をはじめとして、病院や公的施設などに多くの援助や寄進をおこなっています。

こうした慈善事業にともなう記録や記念碑などから、ニコラス・フラメルの功績や実在性が、今も伝承されることとなったのです。

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サン・ジノサン墓地の「錬金術の寓意図」

ニコラス・フラメル自身、および錬金術に関わる遺物の代表的なものとして、「錬金術の寓意図」をあげることができます。

サン・ジノサン(またはサン・イノサン)墓地は、12世紀のはじめ頃、パリに作られたという中央集団埋葬墓地で、この墓地ができる以前には、ローマ時代の方法に則り、郊外に死者を埋葬してきたのですが、キリスト教の伝来以降は、教会やその周辺の地下に埋葬をおこなうように変化しています。

教会およびその周辺への埋葬には、少なからず料金が発生していたようなのですが、パリが都市化して人口が密集するようになり、埋葬料を支払うことができない人々のために集団墓地を作る必要が発生して、その結果作られたのが、サン・ジノサン墓地であった、とのことです。

 

錬金術の流行と当時の世相

ニコラス・フラメルは、このサン・ジノサン墓地にアーケードを寄進していますが、そこに刻まれた図が、「錬金術の寓意図」でした。

この集団墓地は、中世ヨーロッパ当時の戦争や疫病、飢餓といった社会問題も相まって17世紀頃にはパリ最大の墓地となっていくのですが、土葬であったこともあって限られた土地で大量の死体を有機的に分解することが困難になり、衛生問題や疫病問題が噴出していた時期でもありました(結果的に18世紀に入って、墓地の分散等の抜本的な改善がなされることになります)。

こういった世相や社会問題を背景に錬金術は大流行したのですが、当時の著名な錬金術師とされるニコラス・フラメルが、人々の死生観および死に関する具体的な問題の象徴でもあったサン・ジノサン墓地に、「錬金術の寓意図」を寄進したことは、ニコラス・フラメルや錬金術の立ち位置や存在意義を決定づける、非常に重要な出来事であった、と思われます。

かくしてニコラス・フラメルは、数世紀を経て、現代のファンタジー作品の中で、再びその存在感を示すことになるのです。

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カテゴリ: その他

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