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中世ヨーロッパを代表的する錬金術師パラケルススの生涯


 
中世ヨーロッパの代表的な錬金術師のひとりであるパラケルススが、近年に至るまでその名を残すこととなった背景には、当時主流の思想であったカトリックと、付属する学問であり、学校を意味するスコラより命名されたというスコラ哲学の存在がありました。

スコラ哲学では、「自由討議」というプロセスが存在したものの、カトリックの束縛は大きく、結果的にスコラ哲学はかなり「(時代の)型にはまったもの」であり、自由闊達な議論には成り得なかったことが想像できます。

こういった時代背景をもとに、錬金術、そして錬金術師であるパラケルススの存在感が、育まれていったのです。

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放浪の医師

パラケルススは、スイスの医師であったものの、その生涯の大半を放浪の時間に費やしていた、といわれています。そのため、「放浪の医師」との異名をとっています。実際大学時代の一年間以外は、ほぼ放浪して過ごしていた、とされています。

放浪の中でパラケルススは、世間一般の常識にとらわれない、自由な見識を持つようになっていきました。これが、錬金術のベースとなる考え方になる「大宇宙と小宇宙」という世界観につながっていきます。

この考えでは、聖典、つまり聖書ありきではなく、自然の姿(=大宇宙)を直接探求し、そのなかで人間の存在(=小宇宙)や自然とのつながりを追究する、というものでした。

パラケルススはその生涯で、ハードカバーの本にして数十冊分もの原稿を書きためていましたが、当時主流であったスコラ哲学とことごとく衝突する主張であったため、現行の大半は出版されませんでした(後年になって、原稿の医学的功績が認められ、その一部は全集として出版されています)。

 

民間伝承からさまざまな事象を学ぶ

パラケルススは、医師として活動しながら、放浪の中で各地の民間伝承を集めて、医師、そして錬金術師としての見識を積み上げていきました。

その道中、スペイン経由で当時戦場を擁していたイギリスに赴いた時、耳を切り落とされた兵士が、マムシの油などを使用した薬などを不衛生な場所で塗布し、傷を治しているのを見て、人間に自然治癒力があることを確信し、この考えをベースに、軍医としても活躍するようになります。

この考えは、当時の医学としては画期的ともいえるものでした。この時期、当時の医学書を公然と燃やして、大問題に至ったという事件も記録されています。

こういったユニークな事象の捉え方が、後に「代表的な錬金術師」といわれるベースになっていた、といっても、過言ではありません。

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カテゴリ: その他

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