超能力の謎。デジタルカメラでは念写は不可能?
念写は、テレパシーや透視と並んで、未だ解明されていない人間の人知を超えた能力、いわば超能力と呼ばれる領域の一種として、広く浸透しています。
かつて日本で発見されたという念写の概念は、不思議な現象としかいいようのない事象が存在した反面、その話題性故に、数多くのインチキ事例も報告され、念写がある種の「胡散臭さ」を持って語られてしまうことの理由になっています。1960年代頃、念写のインチキに頻繁に使われていた媒体は、フィルム式のカメラでした。
1824年に発明されたフィルム式カメラ
景色や人物を「箱と穴」を使って映し出すというカメラの原理は、1824年にフランスで世界初の写真術(ヘリオグラフィと呼ばれました)が報告される以前、16世紀頃には既に使われていました。写真が登場する以前には、この原理は「カメラ・オブスキュラ」と呼ばれ、小さな穴を開けた箱に加えて、穴の代わりにレンズを使用したり、反射鏡を使って箱の中の特定の部分に像を転送したり、といった工夫が重ねられ、さらに19世紀頃、画像を焼き付けるためのフィルムも発明されて、世界中に爆発的に普及していきました。
21世紀、デジタルカメラの時代へ
その後、1980年代には、画像情報をフィルムではなくて、デジタルデータとして保存する方式のカメラ、いわゆるデジタルカメラが登場し、1990年代から2000年代にかけて、携帯電話にカメラ機能が一般的に付与されるようになってから、デジタルカメラが主流派となって行きました。
最初に念写の概念が語られた時代は、1910年頃であるため、当時はフィルム式カメラによる念写がおこなわれていたので、現在とは媒体としての背景が異なっています。そして、近年もっとも念写が注目されていた時期は、超能力ブームがあった1960~1970年代頃なのですが、この頃も主にフィルム式カメラによる念写事例が紹介されていました。
シャッターを押すときに念を送る
ある超能力者によると、念写をおこなう際のトリガーとして、「カメラのシャッターを押すときに念を送り、画像を作り出す」のだそうです。そうだとすると、基本的には媒体は問わないはずで、フィルムであっても、デジタルデータであっても、超能力=念を送って画像にする能力があれば、念写は可能なのではないか、と思われます。
しかし一般的には、「念写はデジタルカメラでは不可能である」といった説が浸透しており、真偽の程は明確ではありません。このあたり、もう少し掘り下げて考察する必要がありそうです。