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仮説にもなっていた「メガラニカ大陸=南極大陸説」

メガラニカ大陸

 

16世紀の探検家マゼランや、18世紀の海軍士官にして海洋探険家のジェームス・クック(通称キャプテン・クック)によって、その全貌が徐々に明らかにされていったメガラニカ大陸は、もとは古代ギリシャの知識人によって提唱されたテラ・アウストラリス・インコグニタが、マゼランによる南米のフエゴ島発見以降、マゼランにちなんでメガラニカ大陸という呼称となっていった「仮定上の大陸」だったのですが、キャプテン・クックの航海が南極大陸に至ったことで、一時期「メガラニカ大陸=南極大陸」との仮説が唱えられていたようです。

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航海中に巨大な氷山を発見

キャプテン・クックは、合計3回に渡って大規模な航海をおこないましたが、初回にはニュージーランドの全貌を解明(島であることを確認)し、2回目には南半球の多くの島を発見して、伝説のメガラニカ大陸の確信に近づいていきました。
その道中で、一時期「メガラニカ大陸ではないか」といわれていたニューオランダが、現在にも続くオーストラリアという呼称に変わったことを経て、ついには南極大陸と思われる、巨大な氷山を発見するに至りました。

 
南極大陸は、「地球の南の果て」ともいえる、南極点を含む大陸として知られていますが、キャプテン・クックが氷山を発見した時点で、テラ・アウストラリス・インコグニタに端を発し、1世紀頃の古代ローマの学者であるクラウディオス・プトレマイオスが示した「地球の陸地には対称性がある(既に確認されていた北半球の陸地に匹敵するような陸地が、南半球にあるはず)」という仮説に続く、「南半球の巨大大陸」の伝承、つまりメガラニカ大陸の検証は、一定の着地を迎えた、ともいえます。

 

 

さまざまな人物によって全貌が解明される

その後も南極大陸の探検は続き、19世紀にはいって、ロシア帝国海軍船長であるファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼン、アイルランド出身にしてイギリス海軍所属のエドワード・ブランスフィールド、アメリカのアザラシ猟師であるナサニエル・パーマーに代表されるような人々によって、南極大陸への上陸や検証がなされています。
その後も数々の探検家によって上陸が実現していますが、その大きさはオーストラリアの2倍ほどであり、当初想定されたような巨大大陸ではなかったことが判明していきます。

 
結果的に、「メガラニカ大陸は存在しなかった」という現在の結論に達するのですが、結論が出されるまでの経緯を見るにつれ、メガラニカ大陸とは、「人類の探究心の象徴」ではなかったか、と思わずにはいられません。

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カテゴリ: その他

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