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世界の七不思議・ロドス島の巨像が辿った数奇な運命とは?

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紀元前304年頃に製作されたといわれている、ロドス島の巨像は、現在のギリシャに属しているロドス島に作られ、その大きさは、高さ34メートルにもおよぶ巨大なものでした。現在は跡形もなく消滅しているロドス島の巨像ですが、ロドス島の歴史の中で数奇な経緯を辿った末に、現在の状況に至っています。

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戦勝祝いに製作されたロドス島の巨像

当時栄えていたアルゲアス朝マケドニア王国の王、アレクサンドロス3世が、紀元前323年に亡くなった後、後継者争いが起こり、結果として戦争が勃発しています。ギリシャ語で後継者を意味するディアドコイをそのまま流用した「ディアドコイ戦争」は、ロドス島も巻き込んで戦渦を広げていきます。隻眼の王との異名を取った、アンティゴノス1世の軍勢に攻め入られたロドス島ですが、強固な守備隊を持ってこれを阻止し、ついには戦争に勝つことができました。ロドス島の人々は、戦勝祝いとして、太陽神ヘーリオスを形どった像を作ることを決めました。これが、ロドス島の巨像となったのです。

 

着工から12年をかけて完成

着工から実に12年かけて完成したロドス島の巨像は、高さ約34メートル、台座部分を入れると約50メートル立派なものでした。しかしその58年後、当地を襲った地震により、ロドス島の巨像はもろくも倒壊してしまいます(膝が折れて倒れてしまった、と伝えられています)。崩れ落ちた像の指部分は、大人が腕をまわすことができないほどの大きさであった、といわれています。かくして倒壊したロドス島の巨像は、その後800年間、倒壊したままの姿をさらし続けます。

 

7世紀には完全にスクラップと化す

654年に、イスラム勢力であるムアーウィヤの軍勢が、ロドス島を征服すると、当時まだ残っていたロドス島の巨像の残骸が発見され、中央マケドニア地域のペラ県の都市であるエデッサの商人に売却されてしまいました。青銅の残骸を、900頭のラクダの背に乗せて持ち去った、と伝えられています。7世紀以降には完全に姿を消してしまった巨像は、想像の世界でしか語られることのない存在となったのですが、「地震前には港をまたぐ形で立てられていた」、「巨像は手に器のようなものを携えていた」、「港に外的が侵入した際には、巨像から油や鉛を投げつけて撃退した」、といった伝説がいくつか作られています。そして近代、1970年代には、巨像再興の機運が高まったのですが、資金不足のため断念し、現在に至っています。

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カテゴリ: その他

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