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【第3回】アンコールワットを発見したフランス人アンリ・ムオ氏

アンコールワット

 

カンボジア北西部のアンコール遺跡の代表的な建造物であるアンコールワットは、ユネスコの世界遺産にも指定されている有名な遺跡ですが、西欧社会にアンコールワットが広く知られるようになったのは、実はそれほど大昔ではありません。
いつごろ発見されたのでしょうか。

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フランス人博物学者のアンリ・ムオ氏が発見

アンコールワットが西欧社会に紹介されたのは、1820年代以降のことでした。
フランス人博物学者のアンリ・ムオ氏(1826~1861年)は、アンコールワットを最初に訪れた西欧人として知られています。
彼は1861年に、熱病により享年35歳の若さで亡くなっていますが、亡くなる直前の3年間、アンコールワットを発見することになるカンボジアの他、タイ、ベトナム、ラオスなどを探検しています。
その際には、「プライとデン」と呼ばれる、非常に忠実な2人の助手を帯同していました。

 

 

妻は有名な探検家一族

また、アンリ・ムオ氏は1856年に英国で結婚していますが、彼の妻は、アフリカ探検家として当時有名だったムンゴ・パークの一族の出身で、彼はこのことを相当の名誉と考えていたそうです。
西欧人から見ると、当時は東南アジア諸国はまだまだ知られておらず、神秘と未知の地域として、探検家がこぞって興味を示すような場所であった、といえました。
アンリ・ムオ氏もその例に漏れず、東南アジアの探検と調査を目指します。
最晩年の1858年から1861年にかけて、大きく3回に分けて東南アジア地域の本格的な探検をおこなっています。

 

 

2回目の探検の中で発見した

第1回目は、1858年の10月から12月までで、タイのアユタヤ遺跡やプラプッタバート、サラブリーなどを探検しています。
第2回目は、1858年12月から1860年4月までという長い期間、主にカンボジアを中心とした本格的な探検をおこなっています。
タイのバンコクから漁船でカンボジアのチャンタブリー(タイとの国境の町)に渡り、そこから海路カンボジアのカンポットに向かい、今度は陸路で当時のカンボジアの首都ウドンに入りました。

 
その後、1860年1月、セムリアプのジャングルの中に、巨大な遺跡を発見します。
これが、アンコールワットを含む、アンコール遺跡でした。
その後第3回目の探検は、一旦タイのバンコクに戻った後、ラオスを中心に一帯の地域を探検しています。
これらの探検に関連する日記や資料などが、彼の死後に助手の手によって整理、出版され、西欧社会にアンコールワットの存在を広く伝えることになったのです。

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カテゴリ: その他

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