大津絵…鬼は怖くない?ユーモラスな鬼が江戸時代に登場した理由
鬼というと平安時代ごろを中心として、大きな身体に強い力を持ち、人間をさらって食らったり怨念から人間に害を為すなど、とても怖くて恐ろしい存在として知られてきました。それがいつしか豆まきで追い払われるちょっと可哀想な存在、ときにはなんだか憎めないユーモラスな存在へと変化して現在に伝わっています。
鬼のイメージは、いつごろからそう変化して行ったのでしょうか。いろいろなとらえ方があるかと思いますが、ひとつには江戸時代の妖怪大流行が大きく影響を与えているような気がします。
江戸時代の町人文化のなかでは出版や芝居などが隆盛となり、「百物語」が流行ったように、この世の不思議なものに対して大きな関心が寄せられました。それは現代の都市伝説ブームと似ているのかも知れません。そのなかで、もっぱら怖いものとされたのは幽霊でした。また様々な妖怪が、その姿がはっきりとわかるかたちで絵画として登場します。
そのようななかで、古くから恐ろしいものの代名詞で誰もが知っていた鬼は、お馴染みであるがゆえに、どちらかというとユーモラスで親しみのある存在へと変化して行ったのかも知れません。
ユーモラスな鬼の代表=大津絵の鬼
滋賀県の大津で江戸時代から名産として知られていた民俗絵に、「大津絵」というものがあります。大津絵は江戸時代に東海道を旅する人の護符とされ、また江戸初期のキリスト教がご禁制となった時代には、仏様が描かれていたことから庶民が持つ免罪符のような役割を果たしていたそうです。やがて大津絵は、土産物としても広く知られるようになりました。
この大津絵の画題として多く描かれたのが鬼や雷神であり、やがて大津絵と言えば鬼の絵というようになっていきます。
大津絵に描かれる鬼は、決して人間を食べてしまうような恐ろしい鬼ではありません。大津絵自体が仏画を中心に護符として始まったことから、鬼をモチーフにしたものも仏教の教えや戒めに関係した内容で、鬼自体も親しみのあるユーモラスな姿で描かれています。
鬼は人間への戒めの存在として描かれる
鬼をモチーフにした大津絵の代表作として、「鬼の寒念仏」というものがあります。寒念仏とは、僧が小寒から立春の前日までの寒の30日間の明け方に、山野に出て声高く念仏を唱え、また家々の門前で念仏を唱えて報謝を請い歩くことを言います。「鬼の寒念仏」は、この寒念仏の僧が鬼の姿になっている絵です。
この絵の意味は、鬼が僧衣をまとっていることで慈悲の姿とは裏腹の偽善者を表している、ということだそうです。鬼は人の心の中にあり、鬼の角は貪欲さや我執(がしゅう=自分中心の考えにとらわれていること)のシンボルです。いつも自分の欲や自分本位の考えにいると、鬼の角が生えてくるのです。大津絵の「鬼の寒念仏」は念仏を唱えることによって、そこから救われることを表していると言われています。
そのほかには、酒や遊興が身を滅ぼすことを戒め、鬼が三味線を弾いている姿を描いた「鬼三味線」、どんなに熟達した者でも時には失敗することもあると、雷神の鬼が地上に落とした太鼓を釣り上げようとしている「雷公の太鼓釣」など、どれもユーモラスで楽しい鬼の絵がいくつもあります。