> >

日本人はどこから来たのか…日本列島への移動経路の謎


 
 中近東地方から日本列島へ移動する古代の経路について考えます。出発時に既に日本列島を目指す集団がどれだけいたかは分かりません。移動と定住を繰り返すなかで、東方の海の彼方に楽園のような国があることを知り、渡ることをきめた集団もあるでしょう。当初から日本列島を目指したものの、何らかの理由のため断念せざるを得なかった集団もいたことでしょう。

スポンサードリンク


 

1. メソポタミアから日本列島への移動経路

 古代において、ペルシャを含めたメソポタミアの地域からわが国へ渡来する経路には以下のものがあったと考えられます。

 
・経路A: マラッカ海峡を経由する海上移動経路
・経路B: 揚子江流域以南からの海上移動経路
・経路C: シルクロードと朝鮮半島を経由する経路
・経路D: 中国を経由しない北方草原経路

 
 海を利用した移動では、遠洋航海に耐える船団を編成しての大規模な移動のほか、小規模な船での小集団の移動が考えられます。陸路では、山地や砂漠の隙間をぬって作られた通り道を辿る手段と、騎馬での移動に適した草原を駆け抜ける手段とがあると言うことです。

 

2. 各移動経路の説明

 これらの経路について誰がどのような場合に利用できたかを考えてみます。

 

経路A: マラッカ海峡経由の海上移動経路

 ペルシャ湾からホルムズ海峡を抜けてインドに至り、そこからさらにインドネシアやインドシナ半島に達した後、黒潮に乗って日本列島に至るコースです。

 

経路B: 揚子江流域以南からの海上移動経路

 今日の福建省あたりからは船で直接九州の各地に渡る可能性があります。しかし、オリエント地方から移動する場合は主流の経路は思えません。ただし、移動と定住を繰り返しながら日本列島を目指す場合は利用できます。

 

経路C: 中国・朝鮮半島経由の経路

 北緯40度の線に着目します。北緯40度線は黒海の南を通りカスピ海を南北に分けます。さらに東に目を向け経路北緯40度線は南北のシルクロードを通過し北京に至りさらに朝鮮半島の北部を通過し日本海に出て、秋田・岩手を通過して太平洋に抜けます。

 経路Cはオリエントの地方からシルクロードを通って中国に至り、さらに朝鮮半島を経て日本列島に至るコースです。けっして楽なコースではありません。シルクロードの自然環境の厳しさ(風雪と降雨・砂漠や乾燥・変化する河川・超えるのが困難な山坂など)を克服しなければなりません。それだけではありません。途中で通過する人の組織がつくった様々な関門・障害を乗り越えねばなりません。換言すれば移動の安全を確保しなければならないのです。

 

経路D: 中国を経由しない北方草原経路

 およそ北緯50度線を西から東に移動する経路です。草原の経路とも言います。主に遊牧民が利用する経路です。球体の地球では高緯度になるほど日本列島との距離は短くなります。遊牧民は女も子供も馬に乗ります。また、紀元前から駅伝の仕組みがあったようです。しかも草原経路は気候の変化で経路が大きく変化することもありません。安定しているのです。男だけの集団ならさらに短い日数で移動できたと思います。なお大陸東端の沿海州に到着したら、縄文時代からの交易ルートによって列島に渡ります。直接ではなく北海道を経由するにせよ、到着地は秋田や青森です。

 

3. 経路の分析

 行き先が中国や朝鮮半島の場合は経路Cをとらざるを得ませんが、日本列島なら経路Cをとる必要はありません。都合のよい経路を取ればよいのです。

 

経路A

 この経路は船と航海術をもつ専門集団に任せる方法もあります。フェニキア人は航海の専門集団として有名です。シュメール人のなかにも航海に熟練した集団がいたようです。これらの技術集団を利用できる集団が経路を利用して日本列島と往来したと思います。自ら航海できる集団が日本に渡来する場合も否定はしませんが主流ではないと思います。

 

経路B

 東南アジアを移動と定住を繰り返し中国の南部地方に至り、季節や天候を待って小船団で日本に渡る経路です。オリエント地方からこの経路を利用して日本列島に渡る方法はあったとしても主力とは思えません。

 

経路C

 出発地の関係や商取引の関係でシルクロード経由でなければならない場合、遊牧民でないため草原経路をとれない場合、海の民でないため海路になじまない場合にこの経路を利用したのでしょう。中国から西に行くにはこの経路を通らざる得ないため、経路上にある国々は中国の影響を強く受けました。しかし同時に北方の遊牧民に支配される不安定な位置にあり続けました。

 

経路D

 遊牧民が日本列島への移動に利用する経路です。到着先は日本の東北地方です。私たちは中国を過大視するあまり遊牧民の存在の重大さを軽視する傾向がありました。この経路Dもまた同じ理由で軽視されてきた経路です。

 

4. 日本列島へはどのルートで?

 本稿では古代のオリエント地方から日本列島に渡る経路として、騎馬民族が利用する北方草原ルートとペルシャ湾からインド経由で日本列島に至る海上ルートの存在を強調しました。馬と草原と星、あるいは船と海と星に象徴される民族の移動ルートです。騎馬の東北武士、船の西国武士はその名残だったかも知れません。中国文明を過大視するあまり、日本列島への移動ルートもシルクロードから中国と朝鮮半島を経由するルートを過大視する傾向がありました。

 さて、今日でも移動には相応の力(財力・能力)が必要です。ニューヨークやロスアンジェルスに行ったことのないアメリカ人は沢山いるはずです。古代ならなおのことです。力のある指導者に率いられた集団でないと日本列島には移動できなかったはずです。その部族を率いる指導者が備えるべき強烈な指導力に改めて敬意を表します。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

カテゴリ: その他

Comments are closed.