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必然だった?!「秦始皇帝陵及び兵馬俑」の発見が遅れた理由

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1987年、ユネスコの世界遺産に登録された「秦始皇帝陵及び兵馬俑」は、秦始皇帝の墓陵と8000体以上の兵士の人形が眠っていた兵馬俑坑から成る、世界最大の墓陵のひとつです。

秦始皇帝陵の発見が1960年代、兵馬俑坑の発見が1970年代と、発見されたのは比較的近年なのですが、これが事実だとすれば、秦の始皇帝が活躍し亡くなったとされる紀元前の時代からおよそ2200年以上も人目に触れることもなく、考古学として遡上にあがることもなく、黙殺され続けていたことになります。

発見したのは現地の農民であり、発見当初は考古学的価値がわからなかったとの話も伝わっていますが、そもそも2000年以上も発見されなかったこと自体、大きな謎であるともいえます。

ここでは、「秦始皇帝陵及び兵馬俑」がなぜ発見されなかったのか、もしかしたらそこに何らかの事情があったのではないかというところを掘り下げていきます。

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もともと非公開というコンセプトで建設された?

非常に長い期間、「秦始皇帝陵及び兵馬俑」が発見されなかった根本原因のひとつとして取り沙汰されているのが、「そもそも建設時に、将来も含めて秘密にしておくという目的を持って建設されたのではないか」ということです。

古代中国の秦の国を立国した最初の王の墓陵であり、50歳の若さで亡くなったことを考えると、身分が身分だけに墓陵の規模は超巨大であるものの、はじめから秘密裏に建設され、表沙汰にするつもりはなかったのではないかということが考えられます。

実際、最初の発見以来、現在も発掘や調査は継続されていますが、未だ全貌を把握・公開するには至っていないのです。もともとのコンセプトからして非公開目的だったとすれば、現況にも納得がいくところです。

 

「秦始皇帝陵及び兵馬俑」を巡る7つの謎

さらに「秦始皇帝陵及び兵馬俑」に関するこれまでの調査によれば、建設目的以外にも謎がいくつもあることが判明しています。

題目をあげますと、

「水銀に関する謎」
「財宝に関する謎」
「始皇帝の棺の材質に関する謎」
「黄金の雁の謎」
「自動発射するしくみをもつ大弓の謎」

などがあります。他にも、ダムがあった可能性や、兵馬俑発掘時に発見されたという人骨に関する謎など、状況証拠を説明しきるための材料や裏付けが著しくかけているのが現状なのです。

そのためこれらの未確認事項は「秦始皇帝陵及び兵馬俑の7つの謎」として世界各地で調査が継続されています。

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カテゴリ: その他

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