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世界最大の墳墓!秦の始皇帝陵と兵馬俑、作られた経緯を考察する

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世界三大墳墓といわれているのは、日本の「仁徳天皇陵」にエジプトの「クフ王のピラミッド」、そして中国は西安にある「秦始皇帝陵及び兵馬俑」なのですが、規模としては「秦始皇帝陵及び兵馬俑」がおよそ300平方メートルで最も大きく、文字通り「世界最大の墳墓」といえそうです。

この広大な墳墓のうち、世界に名立たる謎として大きく取り上げられているのが、始皇帝陵の周辺で発見された兵馬俑坑に埋まっている、兵士や馬をかたどった人形群なのです。

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シルクロードの起点

秦始皇帝陵及び兵馬俑が存在しているのは、中国の西安の北東およそ30キロメートルあたり(座標としては北緯34度23分5.7秒、東経109度16分23.1秒後点です)なのですが、秦始皇帝陵から東に1.5キロメートルのところに、兵馬俑は位置しています。

この地点はいわゆるシルクロード、つまり中国と地中海世界を結んでいる、長い歴史を持つ交易路の起点ともいえる場所でもあります。

兵馬俑から出土した兵士の人形は、始皇帝陵を守っているかのようにすべて東を向いて並んでいます。シルクロード自体も世界遺産に登録されているのですが、意外なことに登録は秦始皇帝陵及び兵馬俑の1984年より遅く、2014年にシルクロードの一部が登録されるに留まっています。

兵馬俑にお話を戻しますと、兵士の人形の数はおよそ8000体、広大な敷地内に仕切られた溝に4列ずつ整然と並べられています。

 

秦始皇帝陵はいつ作られたのか

秦始皇帝陵及び兵馬俑には、「正確にはいつできたのか」「どれくらいの工数がかけられたのか」等いくつかの謎が存在しているのですが、始皇帝に関する記録は一部残っているため、部分的に推測することは可能です。

始皇帝は13歳で当時の中国を治めていた秦という国の王になり、その後秦始皇帝陵の建設が始まったといいます。中国全土が統一されるのはその後の紀元前221年、秦王が38歳の時といいますから、王に就いてから25年が経過したところで始皇帝陵の建設が始まったのではないかと推測できます。

そしてそれから12年後、50歳の時に秦始皇帝は亡くなっていますので、12年間自身の墓作りをおこなっていた計算になります。一説によれば、およそ70万人の奴隷を使って秦始皇帝陵を建設したともいわれています。しかし記録は残存しておらず、正確なところはわかっていません。

最大の謎はここにあります。秦始皇帝陵及び兵馬俑が紀元前210年に建設を終えていたとすると、発見された1974年までの2200年間、まったく世間の目に触れることも話題にあがることもなかったというところです。

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カテゴリ: その他

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