謎多き世界遺産 秦の始皇帝とは?また兵馬俑とは何か
「秦の始皇帝」と聞いて、ピンとくる方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。現役で世界史やアジアの歴史などを勉強している学生の方ならともかく、社会人の方々は、旅行好きや世界遺産好きの方でもない限り、それほどなじみの深いキーワードではないかもしれません。
しかしこの「秦の始皇帝」に「兵馬俑」という言葉が結びついて、とあるミステリーが囁かれていることは、「知る人ぞ知る」という感じで、世間一般にはあまり知られていないのではないでしょうか。
ここでは、秦の始皇帝、そして兵馬俑の謎の中身を、ご説明していきます。
中国戦国時代の王として知られる始皇帝
順を追って解説していきます。まず「秦の始皇帝」とは、どこの誰なのか。
「秦」とは、中国の紀元前の時代の呼称のひとつです。「始皇帝」とは、古代中国において、それまで政治的軍事的にトップの階層にいる人物を「王」と称していたのを、戦国時代に終止符を打った「えい政」という人物が紀元前221年に、自らの権力を強化するための「王」以外の称号として「秦始皇帝」、つまり「秦という国において、最初にしてなおかつこのうえない存在であることを示す呼称」を新たに定義したのです。
結果として、このネーミングから二千年以上経った今でも浸透している呼称であるところを鑑みれば、当時中国全土を治めた「えい政(つまり始皇帝)」の意図は全うされた、ともいえます。
ともかくこの「始皇帝」という称号は、唯一無比の存在であり、その後の秦の皇帝が「二世皇帝」、「三世皇帝」と呼ばれていたことと比較しても、始皇帝という言葉の重みが伝わります。
ユネスコ世界遺産「秦始皇帝陵及び兵馬俑」
次に「兵馬俑(へいばよう)」という言葉の意味なのですが、「兵馬俑」とは、古代中国において、支配階級者が死者として墓に埋葬される際に、副葬品として一緒に埋葬される物品のうち、兵士や馬をかたどったもののことを指します。
「兵馬俑」の解釈として、この説明はあくまでも広義の意味なのですが、一般的に、もっといえば狭義には、「秦の始皇帝の墓地から出土した、兵士や馬の形をした物品」のことを指しているとされています。
秦の始皇帝の墓、つまり「始皇帝陵」と、兵馬俑が多数出土した始皇帝陵近隣の「兵馬俑坑」は、その規模、学術的歴史的な価値、さらには科学的な研究の余地など、将来的に解明すべき謎が非常に大きいというところが評価され、1987年に「秦始皇帝陵及び兵馬俑」の名称で、ユネスコの世界遺産に登録されています。
そして、秦始皇帝陵とその周辺の兵馬俑坑に関する謎は、世界遺産となった今でも、現在進行形で研究が継続されています。