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占いの起源・歴史(3)日本に古来から伝わる占い

勾玉
 
日本にも占いの長い歴史がありますが、現在につながるものの多くは中国から伝わり、やがて日本で独自に発展したものでした。

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それでは、日本で発展した占いをいくつか見てみましょう。

 

日本の古代の占い

古墳時代以前の古代の日本では鹿の肩甲骨を焼いて、そのひびの入り方で占う「太占(フトマニ)」が行われていました。太占は中国から伝わってきたもののようで、卑弥呼の時代には政治にも多く利用され、古事記や日本書紀にも記述があります。

やがて5世紀から8世紀の飛鳥時代にかけて、中国から様々な占いが伝えられたと考えられています。中国と同じように亀の甲羅を焼いて占う「亀卜(キボク)」が盛んに行われ、「卜部」という占い専門の職業集団も生まれました。

 

平安時代に全盛期を迎える陰陽師

8世紀には、占いや天文、暦などを司る「陰陽寮」が設けられ、陰陽師が誕生します。ちなみに陰陽寮は、明治3年に廃止されるまで日本で唯一の公的占い機関として長い歴史を刻み続けました。

陰陽師の占いは、中国の陰陽五行の思想に基づいて日本独自に発展した陰陽道によって行われたものです。占いの方法としては、筮竹を使った易占いや天文と干支を組み合せて占う「六任神課(りくじんしんか)」などの「式占(しきせん)」という占い、地相を見る今日の風水占いのようなものが主流だったそうです。

平安時代には安倍晴明が出て陰陽道は全盛期を迎え、貴族社会に大きな影響力を発揮しますが、武家社会に変わって行くにつれて陰陽師の影響力は衰退して行き、やがて民間の陰陽師が街角の占い師として活躍するようになっていきました。

 

四柱推命は日本独自の名前!?

ところで「四柱推命」という占いは、現代の日本ではかなりポピュラーになっています。
中国で生まれたこの四柱推命も陰陽五行の思想に基づいていて、生まれた年月日時の4つの柱からその人の命運を占うものです。

四柱推命は12世紀に生まれたとされていますが、日本には江戸時代の半ばに入ってきました。
四柱推命という名称は実は日本独自の呼び名で、中国では「命学」とか「命理」などと呼ばれています。しかし現在では英語でも「Four Pillars of Destiny(運命の4つの柱)」といった名称で呼ばれ、世界共通の名前になっているのだそうです。

また算命学など四柱推命と同じ系統の占いも多く、西洋占星術は別として、日本にいくつもの種類がある誕生年月日時をベースにした占いの多くは、陰陽五行の思想に基づいていると言っていいのかも知れません。

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