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易の源になった、古代中国の亀甲占い

黄河文明が咲き誇った後の夏文明や、次の殷の時代の遺物に明らかな亀甲占いとは、亀のこうらを使用、王お抱えの神官が質問などを刻み付け、祝詞を読み上げるなどして燃やした後のヒビ割れなどから、天気や戦、作物についての吉凶を日常的に卜ったものです。

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強大な武力を支えるのに必要な専属の神官団を夏王や殷王は雇っていました。

吉凶の兆しを宿す自然というものが、占星術の場合は空の星々でしたが、この亀甲占いでは身近な長寿動物が身を守るための大事な甲羅、という違いがあります。

筮竹をジャラジャラいわせて、偶数か奇数かをなんと五本分も並べて出す易というものも同じ頃にあり、殷の次の東周の時代の周易に発展したことは、歴史においてよく知られています。

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この易とは、吉凶の兆しを宿すものを、こうらを使わずより簡素に、筮竹というもののもつ偶然性に託すようになった、という点で、国家の神事として毎日行われていたような亀甲占いよりぐっとライトになってしまいました。

このようにして、神政一致の国の神事を離れた周易以降、手続きや占う内容がシンプルになり、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と現代でもいわれるほど広まりました。

以上が、占いの主柱、命占(天文学により生年月日に着目して卜います)と卜占(易の筮竹占いの類でそのときの偶然性に吉凶の兆しをみます。

よく当たる筮竹やサイコロ、タロットなどのカード占い師というのは、この兆しが当たる可能性が高い一面をもつわけなのです)という2つの概念のすべて、といっていいでしょう。

更に、これら2種類の占いに、人の顔形、容姿、名、住処など、その人のライフ自体に係わる事について、吉凶を云々する類の、相占が加わっておおよそすべての種類の占いとなります。人相見のような相占は、観察結果から吉凶の謂われを数多く述べるほど、「なんぼ」というもので、手相、家相などもそれにあたります。場合により、姓名判断も相占とされています。

ちなみに、卜占の卜という漢字の原形は、亀甲占いで使用された亀の甲羅の割れ目をかたどったことに端を発する象形文字とされていて、訓読みを『うらな(い)』といいます。同じように『うらな(い)』と訓読みされる、『占』という漢字もまた同じルーツを持っているということだそうです。

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カテゴリ: 占い

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