> >

占いがなぜ信じられるのか?

占いはプトレマイオスの天動説の遥か未来にあたる現代のように化学、科学、ひいては物理数学の素粒子に関する事柄にいたるまで、占星術の影響下で数学などが発達する遥か以前、いわゆる非科学的な時代に発生しました。

DA101_L

魔法のように、錬金術師がクズ鉄を金に還る、という国家や人が容易に富むための策に幾度も敗れつつ、失敗から構築したのが化学の基礎ですが、このように現代知が発展し公知となる前、もっとナチュラルに人々は占いを信頼していたといえそうです。

なぜかというと、占いのうちでも特に占星術は、作物を獲るのに必要な、太陽の動きや河川の氾濫の時期、1年の数え方を知るのに当然発生し、発達した天文学に、星々の意味という吉凶をつけただけといった類のものだからでした。

つまり、人々に必要とされたり、自然と信じられたりしていたものだったのです。

天文学は古代メソポタミア、古代ギリシャなどの神政一致都市国家群において、絶対王政期のヨ-ロッパ諸国におけるのと同様に、当時一流の学問でした。

スポンサードリンク

そういうわけですから、国家が戦を始めるというような、未来を予め知っておくといいのが当然の物事に際しては、必ずや、諸葛孔明軍師ならぬ占星術師が千里眼のように現れるわ、時として神殿に常駐の巫女に神託が求められるわ、大騒ぎでした。

神の力が現実の力のように扱われ、国王によってかき集められ、万全を尽くして臨まれたことは、古代ギリシャのアクロポリスの1つアテネなどでの数多くの逸話によって知られています。

たとえば、古代アテネのデルフォイ神殿はその昔、アポロン神からの神託が非常に価値が高いと評判で、周辺都市国家アクロポリス間に争いが勃発すると、競って開戦のための有利な情報を使者が粘りに粘ってもぎとって行くことで知られていました。

さて、古代ギリシアの最後の良心と評価されるところの、一大巨大アクロポリス(都市国家)であるアテネと、新興の破壊的な征服王朝・アケメネス朝ペルシア帝国が鋭く対立した紀元前5世紀前半のこと、このようなペルシア戦争に勝利したのは、結局アクロポリス連合軍側となったかたちでしたが、これもデルフォイの神託を勝利宣言に変更されるまで粘り、奪い取って、その通りに作戦を立て、実行したからだ、とは有名なお話です。

今と同じく、情報化社会ですから、一々各国からお伺いをたてられるデルフォイ神殿のピューリア(巫女)が最終的な調整を、時には賄賂を受け取って神託として行い、人の心を左右することで戦局をも左右していたのでした。今でいう、霊感占い師のようなイメージが湧いてくるかもしれませんね。

現代になって、ようやく、デルフォイ神殿の至聖所、つまり、ピューリア(巫女)が神がかって神託を告げたとされる、一段低い場に、霊妙に立ちのぼっては、ピューリア(巫女)の力の源とされてきた『甘い蒸気』の謎が解明され、なんとサイエンスニュースとして話題になっていたのをご存じでしょうか。

温泉にありがちな、エチレンが床の岩盤の下に眠っていたことが解明されたそうです。エチレンとは、手術の際の麻酔としても使用される化学物質ですから、ごくわずかな量を吸引してもトランスに陥っていた、と考えられているようです。


西洋占星術師達の活躍

かの絶対王政期にあったフランスのシャルル9世王とその王妃カトリーヌ・ド・メディシスに支持されたものの、うろんな未来の予言をかき残したため20世紀末に忌み嫌われたノストラダムスが、かの王の常任侍医兼顧問である時期があったことはクローズアップされない一面です。

最も古くにその名を轟かせた占星術師のうちの1人は、遥か1、2世紀頃のクラウディオス・プトレマイオスです。天動説で有名なプトレマイオスのことです。この説は、クラウディオス・プトレマイオスの主著『アルマゲスト』の内容なのです。ご存じでしたか?幾何数学の手法を駆使し、球面を平面として捉える試みがなされた数学書です。

『アルマゲドン』と語感が似ていますが、違う意味で『al』はアラビア語の定冠詞です。

天動説はノストラダムスら各国王お抱えの占星術師が大いに活躍した中世末の16世紀頃まで影響力がありました。そんなプトレマイオスは、古代ローマの天文学者で占星術師というだけでなく、数学や地理学も研究していました。

こんなふうに、星の観察から天文学、占星術とともに数学が発達したのですね。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

カテゴリ: 占い

Comments are closed.