アメリカ建国の礎に…ロアノーク島の集団失踪事件の側面
現在のアメリカは、50の州や連邦区から成る合衆国(連邦区であることから、厳密には連邦共和国)ですが、その建国は、1787年9月17日にまで遡ります。
先の大戦や、「核の傘」と呼ばれる日本の国防問題と関連しているイメージの強いアメリカですが、18世紀の建国時の実態は、実は「イングランド(厳密にはイングランドが植民地化していた場所)からの独立」でした。
広い意味でいうと、今のアメリカの建国の直接的な動機は、16世紀から17世紀にかけてイングランド主導でおこなわれた「北アメリカ地域の植民地化活動」がベースとなっていたものでした。
イングランドがおこなった植民地化の最初のアプローチの際に起こったのが、今のアメリカ合衆国ヴァージニア州で勃発した「ロアノーク島集団失踪事件」だったのです。
真相は闇の中
日本人からすると、肌の色やものの考え方など、いわゆる「欧米人」に直感的な大きな違いは感じませんが、イングランドとアメリカとではそのルーツは大きく異なるようです。
イングランドが植民地として治めていた北米地域から独立したアメリカは、ヨーロッパ大帝国からの独立に成功した世界初の国家でもあります。ちなみに当時のイングランドは「大英帝国」と呼ばれていました。日本の戦争時の呼び名である「大日本帝国」という呼び名と、微妙に近いニュアンスがうかがえます。
それほど強大であった当時のイングランドなのですが、それでもごく初期の植民地化には失敗しています。
それが「ロアノーク島集団失踪事件」なのですが、その後のアメリカ建国、それから建国後に起こった第一次世界大戦、そして現在の日本の姿を形作ることになった第二次世界大戦のルーツは、ロアノーク島という小さな島で起こった集団失踪事件に遡ることができるといっても過言ではありません。
しかし、未だにその真相は、闇の中のままなのです。
植民請負人ジョン・スミスの功績
ロアノーク島を含む北アメリカの植民地化を成功させたのは当時の探検家であるジョン・スミスという人物なのですが、時のイングランド王であるジェームス1世の命を受けた彼のミッションは、「植民地拡大」という最大のもののほかに、「ロアノーク島集団失踪事件の真相究明」というものもありました。
ジェームス1世は「事件の真相解明が、植民地拡大の鍵になる」と考えたのです。このため、ジョン・スミスは、当時現地に暮らしていたインディアンの部族に対して、さまざまな形でヒアリングをおこなっています。
しかし、その時に得たインディアンの証言のどれもが確たる証明ができないまま、現在に至っています。このようにロアノーク島のミステリーは、アメリカ最大の謎として後世にも語り継がれていくことでしょう。