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霊感という言葉が使われだしたのはいつからか?

霊感

「霊感」という言葉や概念が一般的に使われだしたのは、いつからなのでしょう?

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はっきりしない霊感の概念

いろいろ調べてみたのですが、それがどうもはっきりとは分かりません。
本来、霊感の意味には大きく3種類があって、ひとつは神や仏が直接的にまたは人間に乗り移って示すような霊妙な感応や感覚。2つ目は理屈ではなく直感的に何かが認知される心的な状態。そして3つ目が霊や霊的なものを感じる感覚です。

 
何かがひらめいたときに霊感が働いたというように、2つ目の意味の言い方をすることがありますが、今の私たちには、3番目の霊や霊的なものを感じる感覚やその能力という意味がよく使われるのではないでしょうか。

 
霊感という言葉に、この3番目の意味合いが色濃くなったのがいったいいつからのことなのか、おそらくはそれほど昔のことではないような気がします。

 

明治時代の霊能力実験

様々な幽霊の物語が語られるようになって、何らかの恨みや思いなどを残して死んだ者が幽霊となって現れるというイメージが、庶民の間でも一般的になったのは江戸時代のことではなかったかと思います。

 
江戸時代の町人文化発達の中には、妖怪ブームや幽霊ブームというのがあって、見えないものの姿やイメージが具体的な絵やお話となって広まりました。それが明治時代になると、西欧近代科学の導入とともに具体的に霊や霊能力(超能力)を研究しようとする動きが出て来ます。

 
有名なのは1909年から1910年にかけて行われた、京都帝国大学医科大学の今村新吉教授や東京帝国大学文科大学の福来友吉助教授らの実験で、透視能力を持つとされる三船千鶴子を被験者とした透視実験です。

 
福来友吉助教授は三船千鶴子の透視能力を本物としますが、その後に東京帝国大学元総長の山川健次郎が立ち会った実験で、透視が成功したとされる鉛管の中の文字が実は福来助教授が練習用に用意したものであったなど、実験が不審なものであるとして新聞が否定的な論調で書き、新聞や世間から非難された三船千鶴子はやがて自殺してしまいます。

 
このほかにも三船千鶴子に刺激を受け、同じく福来助教授らが念写の実験を行った長尾郁子、ほとんど食事をせずに水しか飲まず空気中から神水を取り出すなどの超常現象を起こしたという長南年恵など、多くの霊能力者(超能力者)と言われる人が明治時代には現れます。

 

霊能力や霊感が広まったのは明治時代から?

おそらくは江戸時代以前にも、こういった不思議な能力を持っているとされる人たちはいたのでしょう。陰陽師や密教の修験者をはじめ、霊の口寄せを行うイタコのような巫女などはとても古い歴史を持っています。

 
しかし、そういった修行者や神に仕える巫女のような存在ではなく、一般の庶民のなかから霊能力者(超能力者)と言われる人々が現れ、そこに実験という要素が加わり、また良くも悪くもマスコミが報道して一般の人々が知るところとなるというのは、まさに明治時代ならではのことだったと思われます。
こうやって霊能力や超能力、霊感というものが一般に広まって行ったのではないでしょうか。

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