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八百比丘尼と人魚(1):日本に残る最古の人魚の記録

八百比丘尼

「八百比丘尼(やおびくに)」伝説の謎を考えるうえで忘れてならないのは、不老不死となった娘が食べたという人魚についてです。
人魚と言えば洋の東西を問わず世界中に伝承や物語のある伝説の生物ですが、ヨーロッパの人魚と東洋、特に日本の人魚には大きく違いがあるようです。ヨーロッパでは若い女性の姿をした人魚であるマーメイドのように、上半身が裸の美しい人間の女性として描かれることが多いのではないでしょうか。また中国では「髪魚(はつぎょ)」という海人魚(人魚)がいて、こちらも容姿はたいへん美しいそうです。
しかし日本の人魚は、ヨーロッパと同じく上半身は人間のようであったとしても妖怪や鬼の姿で描かれることが多いのです。

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日本で初めての人魚の記録とは

日本で初めて人魚が記録されたのは「日本書紀」で、推古天皇27年(619年)に近江国(滋賀県)と摂津国(大阪府)で人魚が網にかかった話が記述されています。近江国のものは、琵琶湖の南の蒲生川(滋賀県蒲生郡日野町)で「その形、人の如し」という人魚と思われるものが現れたという記録です。

 
それに続く摂津国の記述は、網を堀江に沈めたところ何かが網にかかり「その形、児(わかご)のごとし。魚にもあらず、人にもあらず」というもので、果たして上半身が人で下半身が魚の人魚なのかどうかはわからないのですが、どちらも人魚のようなものだろうと思われます。

 
それより以前の、推古天皇13年(605年)に創建されたという近江国の「観音正寺」(近江八幡市)には、この地を訪れた聖徳太子が人魚と出会ったという伝承があります。その人魚は前世が漁師であり、殺生を生業としていたために人魚に生まれ変わってしまい苦しんでいるのだとか。聖徳太子はこの人魚の願いにより、観音正寺を建立したと伝えられています。

 
また近くの東近江市の「願生寺」も聖徳太子が創建したお寺とされていますが、ここにも人魚伝説が伝わっていて、願生寺の中の庵に住む尼僧の手伝いをするようになった小姓が男の人魚だったことがわかり、村人に捕まってミイラにされてしまったそうです。

 

 

なぜ人魚の肉を食べると不老不死になると言われるのか

このように、古代から日本(またはその近海)に棲んでいたと思われる人魚ですが、先に書いたように上半身が美しい女性の姿というわけではなく、多くは醜い姿のものでした。
時代は下りますが、江戸時代の妖怪画家、鳥山石燕が「今昔百鬼拾遺」に描いた人魚の姿は「人面にして魚身、足なし、胸より上は人にして下は魚に似たり」と説明されているものの、描かれた姿はまさに妖怪そのものです。日本では人魚を見ることは不幸の前兆であるなど、ヨーロッパとは異なる独特の妖怪であったようです。

 
それではなぜ、人魚の肉を食べると不老不死になると考えられたのでしょうか。人魚は再生するチカラが強いという伝承があるからだとも言われますが、どうもそれがどこから来ているのかが良くわからないのです。もしかしたら八百比丘尼伝説が初めにあって、人魚を食べると不老不死になるという伝説が生まれたのかも知れません。

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