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天を衝く巨人!ダイダラボッチと富士山にまつわるエピソード

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相模国(神奈川県)の相模原に伝わる伝承は、「ダイダラボッチ」が富士山を背負って現れるのですが、ダイダラボッチにはこのように富士山にまつわる話が多く遺されています。

日本一の山、富士山と、日本一いやもしかしたら世界一背の高い巨人、ダイダラボッチとにはどんな関係があったのでしょうか。

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ダイダラボッチによって富士山と琵琶湖ができた!?

ダイダラボッチと富士山にまつわる話で最もよく知られているのは、そもそも富士山はダイダラボッチが造った山だというものです。

むかしダイダラボッチは大きな山を造ろうと、まず近江国(滋賀県)で地面を掘り始めました。そして掘っては土を運び、山を築いていったのです。とても大きく高い山を造ったので大量の土を掘り出したのですが、この掘った場所が琵琶湖になりました。

また土を運んでいるときに土をこぼしてしまうのですが、近江国と富士山の間にある山々はこのときにこぼれた土でできたものなのだそうです。また富士山の西側、駿河国(静岡県)の現在の静岡市葵区にある「ダイダラボウ」という標高561mの山の山頂にある窪地は、ダイダラボッチが土を運ぶ途中に遺した足跡だと伝わっており、その長さは150mほどあるそうです。東京の代田橋にあったという足跡が180mほどだったと言いますから、同じような足のサイズですね。

この富士山を造るためにダイダラボッチが土を掘って琵琶湖ができたという伝説にちなみ、滋賀県近江八幡市と静岡県富士宮市を結んで、琵琶湖の水を汲んで富士山に注ぐ「お水取り」と富士山の湧き水を琵琶湖に注ぐ「お水返し」という2つの行事が、現在も行われています。

 

ダイダラボッチたちの山造り競争

ダイダラボッチと富士山にまつわる伝承はほかにもいくつかあるのですが、上野国(群馬県)にはこんな話があります。

むかし駿河国と上野国にはそれぞれダイダラボッチがいて、大きな山を造る競争をしたのだそうです。2人の巨人はすごい勢いで山を造っていったのですが、どうも上野国のほうが小さい。夜明けまでという競争で必死に土を運びますが、あとひと畚(もっこ:土などを運ぶ用具)でというときに夜が明けてしまいました。

駿河国のダイダラボッチが造ったのが、もちろん富士山。そして上野国のダイダラが造ったのは榛名富士です。ですから榛名富士は富士山より”ひと畚分”土が少なく、その分低くなってしまったのだそうです。

実際には富士山が3,776mで、榛名山の山頂にある中央火口丘の榛名富士の標高は1,390mですから、”ひと畚分”と言うにはだいぶ高さが違います。またこの競争に浅間山(標高2,568m)も加わっていたという話もありますが、いずれにしろダイダラボッチという巨人は複数いたということになります。大昔の日本には、天を衝く背の高さの巨人が何人もいたのだということでしょうか。

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カテゴリ: その他

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