呪いの宝石ホープダイヤモンドがたどった数奇な運命
1830年頃にイギリスでおこなわれた競売で、ルイ16世が所有していたという青いダイヤモンドを手に入れた、イギリスの資産家ヘンリー・フィリップ・ホープ氏の名は、ホープダイヤモンドという通称として現在にも引き継がれることとなりましたが、1900年頃には破産とともに、経営していた企業も失ってしまいます。
もともとは、フランス革命でおよそ2万人もの市民が見守る中、斬首刑となったルイ16世や、肥料運搬車で市中引き回しのうえ処刑された、ルイ16世の妻マリー・アントワネットが所有していたホープダイヤモンドの影響力は、時代を経ても色あせることがなかったようです。
フランス革命後、盗難に
ホープダイヤモンド(当時はまだこの名がついていませんでした)は、フランス革命での「元の持ち主の処刑」の後、新しく樹立された新政府の管理下となりましたが、1792年頃に盗難に遭い、一旦消息を絶ってしまったようです。
その後1830年頃、前述の競売によってヘンリー・フィリップ・ホープ氏が手に入れたのですが、この宝石を相続した甥のヘンリー・トーマス・ホープが、1851年にロンドン万博に出展したことで、「ホープダイヤモンドが、あの元フランス国王の宝石である」ことが公になったようです。
ダイヤモンドカット職人も不幸に見まわれ
ルイ16世所有時のホープダイヤモンドは、現在よりも大きなものであったようなのですが、フランス革命後の「空白の20年」の間に、オランダはアムステルダムのダイヤモンドカット職人のところに持ち込まれ、現在見せているような形状・大きさに加工されたようです。
しかし、ダイヤモンドカット職人の息子がこれを持ち出し、結果職人である父親は、自責の念から自殺してしまった、といいます。その後息子も後を追って亡くなってしまいます。その後形状を変えたホープダイヤモンドが、ホープ氏の手に渡ることとなった、とのことです。
アメリカの宝石商の手に渡るがまたも破産
彼の会社であるホープ社が失速し、ホープ一族としても相続問題で何度も裁判を経て、ホープ一族は破産してしまいます。ホープ家の最後のホープダイヤモンド相続者となったフランシス・ホープ(下院議員の職にあった、といいます)は、呪われたホープダイヤモンドという気味の悪い存在を手放すべく、1906年頃に知人のニューカッスル公爵夫人にアメリカの宝石商に売却しています。
ホープ一族の手を離れたホープダイヤモンドですが、その後も「ホープダイヤモンドの呪い」は継続することになるのです。