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妖怪「ひょうすべ」と河童の起源(1)実は凶悪な妖怪説

カッパ

 

「ひょうすべ」という妖怪は九州の佐賀県や宮崎県などに伝わる妖怪で、全国区的に有名な妖怪ではないのですが、京極夏彦さんの小説「塗仏の宴 宴の支度」で採り上げられて以来、知られるようになりました。

 
このひょうすべ、江戸時代中頃に佐脇嵩之(さわきすうし)という画家の「百怪図巻」や鳥山石燕の「図画百鬼夜行」に描かれた姿は、ハゲ頭の人間の顔で身体がサルのように毛むくじゃらの小柄の妖怪なのですが、九州地方では河童の一種だとされています。
しかし伝承によると河童よりも古くから伝わる妖怪とも言われ、河童の起源となったもののひとつとも考えられているのです。

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凶悪な妖怪・ひょうすべ

河童が人間や牛馬を水中に引込み、あるいは尻子玉を抜こうとする妖怪だと言っても、なんだか愛嬌もあり憎めないイメージもあります。それに比べてひょうすべは、河童の一種や仲間だとしてもとても凶悪な妖怪なのです。

 
まず、ひょうすべの姿を見た人間は原因不明の熱に侵されて死んでしまい、その熱病は周りの人々にも伝染します。また、ひょうすべが笑うのを見てしまうとそれに釣られて自分も笑ってしまい、その結果死んでしまうとも言われています。

 
ひょうすべは人間の家に忍び込んで勝手に風呂に浸かり、そのあとには大量の毛が浮かんでいて臭く、その湯に触れた馬が死んでしまったという話もあります。
なんとも迷惑で怖い妖怪なのですが、このひょうすべが河童の一種またはその起源とされる理由には、ひょうすべそのものの起源が関わっているのです。

 

 

ひょうすべは戦いの神だった!?

ひょうすべの起源は「兵主部(ひょうすべ)」であり、中国から来た水神であり戦いの神である「兵主神(ひょうずのかみ)」のこと、またはその眷属(けんぞく=その神の配下または関係するモノ・動物)であるという説があります。

 
兵主神とは、中国では「蚩尤(しゆう)」という中国神話に登場する神で、天界の帝王・黄帝と戦ったとされ、人間の身体に牛の頭と蹄を持つなどと言われています。蚩尤が戦いの神とされるのは、戦闘に強いというばかりでなく戦斧や弓矢などすべての優れた兵器を発明したからなのだそうです。
この蚩尤=兵主神を日本に持って来たのは秦氏などの帰化人で、日本では武神であるとともに食料の神ともなりました。

 

佐賀県 潮見神社の河童説

佐賀県武雄市の潮見神社は河童に縁の深い神社として知られていますが、この神社の宮司である毛利家には「兵主部よ約束せしは忘るなよ川立つをのこ跡はすがわら」という言葉が遺っています。

 
初めの「兵主部」が河童のことで、最後の「すがわら」とは九州の太宰府に左遷された菅原道真のことです。
これは「兵主部=河童よ、約束したのを忘れるなよ、川で泳ぐのが上手い男は菅原道真の子孫だぞ」という意味で、水難・河童除けの文句として伝わっています。その由来は菅原道真が河童を助けたことから、以後、道真の一族には害をもたらさないという約束を交わしたことから来ているという伝承なのだそうですが、「かっぱ=ひょうすべ=兵主部」とされているのです。

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