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龍宮城は意外な場所にあった?龍ゆかりの諏訪大社と甲賀三郎伝説

羽黒山参道杉並木
 
「俵藤太(藤原秀郷)の百足(むかで)退治」伝説では、龍宮は琵琶湖にありました。この琵琶湖よりも古くから龍神伝説のある湖と言えば、信濃の国(長野県)の諏訪湖です。
それでは諏訪湖にも龍宮はあるのでしょうか?

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諏訪湖には龍が棲むと言われていますが、龍宮がその中にあるという話は、どうやら見つかりません。しかしなぜ諏訪湖に龍が棲み、また諏訪大社が龍と関わりがなぜ深いのか、それを伝える伝説には、意外な場所に龍宮があったのではないかと思える物語があるのです。

それは「甲賀三郎伝説」という、諏訪明神の由来を伝える物語です。これからその内容をご紹介したいと思いますが、甲賀三郎伝説は大変長いお話であり、またその異本や異なる伝承は膨大な数にのぼると言われています。ですから今回は、意外な場所にあった龍宮に注目しながら、物語を簡単にご紹介しましょう。

 

穴に落とされ、地底世界をめぐる

甲賀三郎伝説の代表的なものは、南北朝時代にまとめられた『神道集』という説話集にある「諏訪縁起事」に収められています。

それによると甲賀三郎は、第三代の天皇である安寧天皇(神武天皇の孫)の五代の孫の甲賀権守諏胤(こうがごんのかみよりたね)の三男で、兄に太郎と次郎がいました。三郎は大和春日郡の春日権守の娘の「春日姫」と結ばれますが、ある日、春日姫は神隠し(天狗さらい)にあって姿を消してしまいます。三郎はふたりの兄とともに春日姫の行方を探しますが、信濃の蓼科山に大きな人穴があり、そこで姫の着物の片袖と髪が見つかりました。
三郎は人穴に入り春日姫を見つけて連れ帰りますが、姫が鏡を忘れたので三郎ひとりが穴の中に戻ります。すると日頃、三郎を妬んでいた兄の次郎が穴に降りる綱を切ってしまい、三郎は深い穴の中に取り残されてしまうのです。

ここから甲賀三郎の地底世界巡りが始まります。三郎は地底の72ヵ国を巡り、最後に「維縵国(いまんこく)」という国を訪れました。

 

維縵国は地底の龍宮だった?!

維縵国の王「好美翁」には3人の娘がいましたが、三郎は末娘の「維摩姫」と結ばれ、この国で13年6ヶ月を過ごすのです。しかし三郎は春日姫を夢の中で想いだし、地上に帰りたいと願います。維摩姫は三郎を地上に戻してくれると言い、また後を追って「忍び妻(隠れた妻)」になるとも言います。

三郎は王から鹿の生き肝で作った千枚の餅を貰い、これを毎日1枚づつ食べながら地上に戻り、千枚目を食べ終えたときに信濃の浅間山に出ました。しかし甲賀三郎は、蛇(龍蛇)の姿になってしまっていたのです。なぜそうなったのか、三郎は十数人の僧たちからそのわけを教えられます。それによると龍蛇の姿なのは維縵国の衣服を着ているからで、石菖(せきしょう)の生える池に入り四方に向かって呪文を唱えれば、それを脱ぐことができるのだそうです。僧たちに言われる通り呪文を唱えた三郎は、人間の姿に戻りました。この僧たちは、白山権現や熊野権現などの神々だったのです。

それから三郎は春日姫と再会し、震旦国(秦/中国)の南にある平城国に行って神通力を会得します。やがて信濃の国に戻った甲賀三郎は諏訪大明神の上社の祭神となり、春日姫は下社の祭神となりました。また維摩姫も地上にやって来て「浅間大明神」となったと言います。

諏訪大社の上社本宮の祭神は「建御名方神(たけみなかたのかみ)」で、下社の主祭神が「八坂刀売神(やさかとめのかみ/建御名方神の妃神)」ですから、甲賀三郎と春日姫がそれぞれに同じということでしょうか。また浅間大明神は「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」とされていますから、維摩姫は木花咲耶姫ということになるのでしょうか。

このように甲賀三郎伝説も大変不思議な話なのですが、維縵国にいたせいで龍蛇の姿になってしまったということは、維縵国が龍神の国(龍宮)で王の好美翁が龍神、維摩姫が龍の娘(乙姫)ということになるのではないでしょうか。そうだとすれば、龍宮は地底世界にあったというわけです。

ちなみに諏訪湖の冬の神秘的な自然現象で、凍った湖面に氷が盛り上がって氷の道ができる「御神渡り(おみわたり)」は、甲賀三郎が春日姫のもとに1年、維摩姫のもとに1年と交互に通う道なのだそうです。

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