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ヴォイニック写本を世に広めたウィルフリッド・ヴォイニッチ

ヴォイニック写本

 

「世紀の奇書」といわれているヴォイニック写本は、1900年代にイタリアで発見され、1915年頃に公に知られるようになったという、全編解読不能な文字(のようなもの)と、幻想的な挿絵で構成された、製作年代も目的も判明していない謎の写本なのですが、歴史の隙間に埋もれていたこの本を発掘したのは、ポーランドのウィルフリッド・ヴォイニッチという人物でした。
この不可思議な本に興味を持ち、世に出したというウィルフリッド・ヴォイニッチ氏は、どのような人物だったのでしょうか。

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1865年にリトアニアで生まれる

ウィルフリッド・ヴォイニッチ氏は、1865年、ロシア帝国のコヴノ県、現在のリトアニアにあたるところで、ポーランド系リトアニア人の貴族の家系に生まれました。
その後成人するまでの記録はあまり知られていませんが、1885年には、ワルシャワの革命集団プロレタリアートに参加したことがわかっています。

 
このため、ヴォイニック写本の発見者として紹介される際には、今も「革命家」という肩書きを持って紹介されています。
1886年には、ワルシャワに収監されていた死刑囚を開放しようとして、ロシア帝国の警察に逮捕され、シベリアの村落に流刑となってしまいます。
しかし、1890年にはイギリスはロンドンに脱出し、革命同志であったエセル・リリアン・ブール(当時イギリスで知られていた有名な数学者ジョージ・プール氏の娘)との結婚を経て、自ら革命集団「ロシア自由の支持者の会」を設立しています。
設立は、同じく革命同志であったセルゲイ・クラフチンスキー氏と共同でおこなっています。

 

 

1895年には革命から身を引く

ところが、共同設立者のクラフチンスキー氏が、西ロンドンで踏切事故にあって轢死してしまうという不幸に見舞われます。
この事件をきっかけヴォイニッチ氏は革命から身を引き、まもなくロンドンで本屋を始めることとなります。
開店から20年ほどでニューヨークにも出店するようになったといいますから、かなりうまくいっていたようです。

 

 

稀覯書のひとつとして入手されたヴォイニック写本

彼の書店は、稀覯書(きこうしょ、出版部数が極めて少量であるなど、歴史的資料的な価値の高い、貴重な本)により深く関わっていたようで、その一環として、イタリアのモンドラゴーネ寺院で、ヴォイニック写本を入手します。
稀覯書の専門家であった彼は、ヴォイニック写本が並みの本ではないことを見抜き、その後優秀な言語学者をはじめ、高名な暗号解読の専門家や、歴史学者が調査するも、未だに解読には至っていないのです。
ヴォイニッチ氏は、ヴォイニック写本を世に広めた15年後の1930年に、ニューヨークで死去しています。

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カテゴリ: その他

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