アレクサンドリアの大灯台が建設された真の目的とは?
紀元前2世紀頃に、現在のイスタンブール(当時はビザンチウムという都市名で知られていました)地域から発信された「世界の七不思議」のひとつ、アレクサンドリアの大灯台。今では建設当時の姿は残っていないのですが、七不思議のひとつに数えられているように、当時としては驚異的な建造物のひとつでした。高さは約130メートルほどもあった(それ以上あった、という説もあります)といいますから、現代の建造物にたとえれば、40階建ての高層ビルに相当する高さです。アレクサンドリアの大灯台は、今からおよそ2000年も前、エレベーターはおろか電気エネルギーなどの設備や環境もない中、どのような目的で作られたのでしょうか。
1.灯台としての目的
まずはじめに、アレクサンドリアの大灯台は、その名のとおり「灯台としての目的」がありました。建設当時のアレクサンドリア港には、訪問する船から見た場合のランドマーク、また夜間航行のための灯りがほとんどなかった、といいます。アレクサンドリアは、周辺地域との交易や金融の拠点として栄え、船の行き来も頻繁におこなわれていたため、純粋に灯台としての機能が望まれていた、といえそうです。
2.国力を内外に誇示
次に、アレクサンドリアの大灯台の建設を企画・実行したプトレマイオス朝(当時地中海やエジプト周辺地域で、絶大な影響力を誇っていた王国)の「国力を内外に示す」目的もあった、と考えられます。世界随一の建造物を作ることで、周辺諸国の注目を集め、さらなる反映を築くための象徴的な建物として必要だった、と考えられます。現に、後年あらわれた、ビザンチウムの識者であるフィロンによって、「驚嘆に値する建造物=世界の七不思議」に数えられるようになっています(もっとも、世界の七不思議にあげたこと自体が、国内外への影響を増すための政治的な目的であった、ともいわれています)。エジプトのピラミッドや、日本の古墳なども、同様の目的であったのではないか、と考えられます。
3.国民の欲求
もうひとつは、民意です。「自国にすばらしい存在を持ちたい」という欲求は、いつの時代も変わらない、と考えられます。アメリカのエンパイアステートビルや、フランスのエッフェル塔、中国の万里の長城、日本の東京タワーや東京スカイツリーなど、建設する国や企業の政治的な目的とあわせて、合意する民意もあわせて存在しています。現在エジプトでは、アレクサンドリアの大灯台の再建計画も具体的に協議されている、といいますから、こういった驚異的な建造物を欲する気持ちは、普遍的な欲求のひとつである、といえそうです。