【第8回】アンコールワット建設に深く関わった王達(後編)
かつてカンボジアがクメール王朝(またはアンコール王朝)とよばれていた12世紀前後の時代に、現在は世界遺産として登録されているアンコールワットが作られています。
建設当時はヒンドゥー教寺院として作られたのですが、今では仏教寺院としても、人々の間で親しまれています。
アンコールワット建設の中心人物である、アンコール王朝第18代国王であるスーリヤヴァルマン2世の時代、現在アンコール遺跡群として残されている建造物の多くが作られていますが、これらは「アンコール様式」といわれています。
アンコール様式が作られた背景
クメール王朝は、802年頃にジャヤヴァルマン2世によって建国され(もう少し後の時代のインドラヴァルマン1世が作った、とする説もあります)、889年に即位した第4代国王であるヤショーヴァルマン1世が、現在のアンコールを王都と定め、アンコール王朝として500年以上の栄華を誇ることになります。
同時代の日本では、平安京遷都がなされています(794年)から、カンボジア地域でも同じような歴史を歩んでいたことがわかります。
実力主義による王位継承
また、アンコール王朝における王位は、世界的にもよく見られる親族による継承(日本など、儒教的な価値観を持つ国において一般的でした)ではなく、実力主義で決められていたそうです。
このため、世間に広く実力を示すためには、前の王よりも重厚で壮大な寺院を建設するなどして、その実力を誇示する必要がありました。
こういった背景もあって、アンコール王朝時代に作られている荘厳な建造物は「アンコール様式」と呼ばれ、現在もアンコール遺跡群として、アンコールワットをはじめとした石像寺院などが、数多く残されています。
仏教に改宗後も建造が続く
アンコール様式の建造物が数多く作られている「アンコール王朝の時代」は、802~1431年頃が該当しますが、アンコールワットが作られた12世紀以降(アンコールワットを作ったスーリヤヴァルマン2世の退位から約30年ほど後)に、国教としての宗教が、ヒンドゥー教から仏教に改宗されます。
当時の国王であるジャヤヴァルマン7世によって建設されたのが、アンコールワットと並び称されることの多いアンコールトムです。
こちらはヒンドゥー教寺院ではなく、大乗仏教に則った仏教寺院なのですが、1177年頃に外敵によるアンコール都城占領を経験していることから、外敵に侵入を防ぐための城壁が、これまでより高く作られていることが特徴です。