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【第7回】アンコールワットを作ったスーリヤヴァルマン2世とは(前編)

アンコールワット

 

アンコールワットを含むアンコール遺跡群は、カンボジア北西部にあるトンレサップ湖の北岸、シェムリアップという町にある、クメ-ル王朝(アンコール王朝とも呼ばれています)時代の遺跡群です。
クメール王朝の繁栄には、当時カンボジア地域の王であったスーリヤヴァルマン2世が、特に大きく関わっています。
アンコール遺跡群の代表的な建造物であるアンコールワットは、スーリヤヴァルマン2世が作った、といわれています。

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クメール王朝の歴史

アンコールワットの建設に関わったとされる、スーリヤヴァルマン2世のいた時代を含むクメール王朝は、歴史的には3つの時代に分類されています。
前アンコール時代(紀元前後~802年頃)と、アンコール時代(802~1431年頃)、後アンコール時代(1431~1863年頃)が該当します。
ちなみに現在の「カンボジア」という国名は、1500年頃にこの地を訪れたポルトガル人が、当時の王の名前が「カンボ」であることを知って、地名を示す接尾語「ia」を付与してヨーロッパに広めたことがきっかけである、といわれています。
802年頃までは、クメール王朝は統一されておらず、真臘(しんろう)という総称で呼ばれ、その中でもラオス地域の陸真臘、カンボジア地域の水真臘に分かれていました。

 

 

真臘からクメール王朝へ

陸真臘と水真臘が統一された後に建国されたのがクメール王朝である、とされていますが、建国したのは「802年でジャヤヴァルマン2世である」とも、「9世紀末頃で、インドラヴァルマン1世である」ともいわれています。
この頃からクメール王朝は、アンコール王朝として栄えていきますが、後にアンコールワットを作ることになるスーリヤヴァルマン2世は、このアンコール王朝の第18代国王にあたります。

 

 

スーリヤヴァルマン2世の霊廟として作られた

スーリヤヴァルマン2世は1113年頃から1150年頃まで王として君臨していましたが、その在位中の12世紀に、スーリヤヴァルマン2世自身の霊廟(れいびょう。
祖先の霊を祀るための建物の意味)として、30年の歳月をかけて、アンコールワットを建設した、といわれています。
建設当時のものと思われる像に、スーリヤヴァルマン2世をヒンドゥー教の高位な神である、ビシュヌ神に見立てたものが残っていることから、アンコールワット建設当時は、ビンドゥー教寺院として建てられたことがわかります(現在では仏教寺院としても浸透しています)。

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カテゴリ: その他

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