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失われたクロムメッキ技術…始皇帝陵から出土した兵馬俑の謎

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秦の始皇帝陵の付近から発見された、兵馬俑坑から出土した兵士の像が携えている長剣は、秦の始皇帝の時代にはなかったはずのクロムメッキ技術が施されていていたそうです。そのため、兵馬俑坑から見つかった長剣のほとんどは、大きな劣化が見られなかったといいます。

しかし、もし秦の時代に西洋からクロムメッキ技術が伝わっていたというのなら、古代中国の歴史の中で後年にあたる漢の時代にも技術が継承されて然るべきであったはずです。しかし実際には、漢の時代の遺物からは、クロムメッキ技術が発見されたことはありません。この事実は何を意味しているのでしょうか。

また、秦の時代の兵馬俑から出土した兵士の像は、なぜそのほとんどが身長180センチメートル程度であったのでしょうか。背景には、西洋世界の影響や、当時の秦始皇帝及びその周辺の人々の西洋世界に対する思いが見え隠れします。

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クロムメッキ技術の発明は1937年!?

ちなみに化学クロムメッキ技術は決して紀元前から浸透している技術などではなく、公式には1937年頃にドイツで発明されたものであるとされています。

なぜおよそ2200年前の遺物にその技術が施されていたのか、そして秦を擁していた中国においてなぜ秦の時代の後の時代ではまったく技術の継承の跡が見られないのか等、非常に不自然な部分も多くあることは事実です。あくまでも仮説ではあるものの、世界遺産に登録されているこの大発見にも、検証の余地がないわけではありません。

しかし逆に、古代中国の歴史書である『史記』や『漢書』に記されているような、古代中国に関するさまざまな伝説と同じように「化学クロムメッキ技術」が本当に存在していて、後年何らかの事情により継承されなかった可能性も全否定できるものではありません。

すべての可能性は研究すべきであり、科学的に断定が可能な物的証拠の発見を模索すべきであるという大原則は、揺るがないところではあります。

 

歴史的ロマンは尽きない

とはいえ真実としては世界的かつ客観的な調査を待つしか選択肢はなく、中国だけではなくアジア全体、ひいては世界全体の課題として究明に取り組んでいくべき課題であることは間違いのないところで、そういったミステリーやロマンを含んでいるからこその「世界遺産」なのではないかと思われます。

ともあれ秦の始皇帝の軍団は、像の特徴から判断するに軍人ばかりというわけではなく、科学者や文人、数学者、歴史家といった識者と思しき像も多数混在していたといいます。

シルクロードを介して流入した西洋人が交易上のメリットから秦を支えるチームに参加した可能性もありますし、交易に端を発した東西の交流の中で現在のクロムメッキ技術に相当する新技術が一時的に活用されたという可能性も十分あるのではないかと思われます。

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カテゴリ: その他

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