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花開く古代文明:メソポタミア文明の礎となったシュメールとは?

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古代メソポタミア文明は、一般的には紀元前9000年頃以降に中東のチグリス・ユーフラテス川周辺に勃興した都市文明全般をあらわしていますが、その礎は、紀元前9000年頃にこの地に移住し、紀元前3500年頃以降に革新的な都市化を成し遂げたというシュメール人による功績が大きかった、といわれています。

古代メソポタミア文明は、ウルク期から端を発し、ジェムデト・ナスル期を経て、古代文明に多く見られる王朝文化を開花していくことになります。

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青銅武器の製作が始められた理由

紀元前3500年頃から紀元前3100年頃まで続いたウルク期の跡を継いで、ジェムデト・ナスル期が立ち上がります。この時期にも技術革新がおこなわれ、前時代の土木技術に加えて、青銅合金の製作に成功しています。

この背景には、周辺国との戦争の活発化による武器の強化があった(または強力な武器の制作が実現されたことにより、戦争をおこなう準備が整った、との見方もできます)ようですが、青銅合金が製造されるようになった原因には、この地がチグリス・ユーフラテスという二つの川に恵まれていたことに加えて、トロス山脈をはじめとした産地からの原材料の入手(銅やスズ)も容易であったことも考えられます。

青銅武器の供給を背景に、ジェムデト・ナスル文化が周辺諸国に広がっていくと同時に、都市としての勢力もペルシャ湾沿岸部まで拡大しています。しかし紀元前2900年頃、全域が大洪水に見舞われ、ウルク~ジェムデト・ナスルの繁栄は、もろくも失われてしまいます。

 

王朝時代で都市国家確立

その後、紀元前2900年頃から、この地の周辺にシュメール人による新興都市国家がいくつも成立し、先の洪水の影響でウルクが没落したこともあり、その結果、キシュの地を中心として初期王朝が形成されていきました。

一番最初に当地を治めた王は定かではありませんが、考古学的にある程度確証をもって語ることができる当地の最古の王は、紀元前2800年頃に王位に就いたキシュ第一王朝エンメバラゲシである、とされています。

シュメール文化を含む古代メソポタミア文明は、地域的には北部のアッシリア、アッカドやシュメールを含む南部のバビロニアなどを指していて、多くの民族や国家が存在し、長い期間勃興と没落を繰り返していくのですが、初期王朝時代から、紀元前2300年頃のアッカド帝国、その後のグティ朝やウル朝などに見られるシュメールの王朝時代は、最も栄えた都市国家の代表的なもののひとつに数えられています。

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カテゴリ: その他

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