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ハリカルナッソスのマウソロス霊廟にはモデルとなった墓があった

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紀元前350年頃に建設されたといわれているハリカルナッソスのマウソロス霊廟は、世界の七不思議として知られているだけではなく、現在でもトルコ共和国屈指のリゾート都市として名前があげられる、ボドルムでその跡を見ることができます。今では土台部分と構成資材しか残っていないハリカルナッソスのマウソロス霊廟ですが、創建時にモデルとした墓がありました。アケメネス朝ペルシャの王、ダレイオス1世の墓です。

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エーゲ海のリゾート地

古代都市ハリカルナッソスがあったとされる現在のボドルムは、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟と並んで、世界の七不思議としてあげられている、アルテミス神殿があったとされるエフェソス(現在のイズミル県セルチュク)の南100キロメートルほどの位置に存在しています。ボドルムは、ボドルム湾というエーゲ海を臨む湾を中心に構成されていて、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟は、海からおよそ200メートルほどの高台に存在していました。周囲には円形劇場や城跡等も存在していて、リゾート地らしい雰囲気を醸し出しています。

 

ペルシャ州知事の墓

ハリカルナッソスのマウソロス霊廟は、もとはアケメネス朝ペルシャの州知事であったマウソロスと、その妻アルテミシアを祀るために作られた巨大な墓であり、その美意識はペルシャに由来している、といえそうです。これを裏付けるかのような説が、「ハリカルナッソスのマウソロス霊廟のモデルは、アケメネス朝ペルシャの王、ダレイオス1世の墓である」という説です。当時の建物の想像図を見比べると、なるほど長方形の土台に付随した階段や柱、ピラミッド型の屋根など、特徴的な類似が見られます。

 

マウソロス霊廟のコピーは現在でも各地に

現在でも、アメリカのワシントンDCの寺院や、オーストラリアはメルボルンの神殿など、同様の建築様式の建造物が現存しています。ルーツとなった墓の当事者であるペルシャのダレイオス1世は、紀元前558年頃~紀元前486年まで、ペルシャを統治していた第3代の王で、現在のイランのペルセポリスに、その墓の遺跡を見ることができます(ナグシェ・ロスタムという巨岩で構成された遺跡で、岩に施されたレリーフや彫像に、マウソロス霊廟との類似が見られます)。このことから、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟は、当事者であるマウソロスがもともと所属していた場所の様式を受け継いで、自らの墓を建設したことがうかがえます。

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カテゴリ: その他

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