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世界の七不思議「ハリカルナッソスのマウソロス霊廟」とは?

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紀元前2世紀頃、現在のトルコのイスタンブールに該当する、東ローマ帝国のビザンチウムという都市がありました。その場所に生きた、数学者にして旅行家でもあったフィロンという人物が提唱した「世界の七不思議」。これは当時の地中海地方の壮麗な建造物を7つピックアップしたもので、現在でも遺跡や観光地として引き継がれ続けています。そんな世界の七不思議のひとつに、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟があります。

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ハリカルナッソスにあったマウソロスの墓

ハリカルナッソスのマウソロス霊廟というキーワードのうち、前半のハリカルナッソスは、都市名を指しています。ここは当時小アジアとも呼ばれていた、アナトリア半島に位置するカリアという国の海岸部分にあった、古代ギリシャの都市になります。現在の地名でいうと、トルコのボドルムにあたり、現在はリゾート地として知られています。キーワードの後半部分については、マウソロスは人名、霊廟(れいびょう)は墓を意味しています。ヨーロッパで使われている「マウソレウム(巨大な墓の意味)」は、このマウソロスに由来しています。

 

マウソロス霊廟が建設された時期

マウソロスは、カリアの王であり、紀元前353年頃に亡くなった、とされています。ハリカルナッソスのマウソロス霊廟は、彼の妻であるアルテミシアが作ったとされていますが、その着工は彼の生前であったとも、死後であったともいわれています。この霊廟は、マウソロスの死後3年、後を追うようにして亡くなったアルテミシアの死後1年の、紀元前350年に完成した、といわれています。マウソロスについて、アケメネス朝(紀元前550年~紀元前330年に栄えた国)のペルシア州知事(サトラップと呼ばれていました)であり、紀元前377年に、彼の父の後をついで、その地位に就いたという記録が残っています。つまりカリアとは、もとはアケメネス朝ペルシアの州だったものが、事実上の独立を果たし、一国となったようです。

 

カリア国が独立した理由

カリア国の独立は、アケメネス朝ペルシアの首都(スサであったとされています)から離れていたことに加えて、マウソロスの父が野心家であったことが原因とされていますが、マウソロスはその領土や権力を引き継いで、後世に残る巨大な霊廟を築くほどの地位であった、と考えられます。また、妻アルテミシアは、彼の姉妹のひとりであった、とされています。当時のカリアでは、統治者は姉妹と結婚するのが慣習であったようです。

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カテゴリ: その他

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