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残骸となったエフェソスのアルテミス神殿と宗教的変遷

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世界の七不思議のひとつである、エフェソスのアルテミス神殿は、七つの不思議にあげられているほかの建造物と同様に、現在は創建当時の姿を残していません(七不思議にあげられている建造物の中で、現在も創建当時の姿を残しているのは、唯一エジプトにあるギザの大ピラミッドのみです)。エフェソスのアルテミス神殿が残存していない理由としては、三度にわたる破壊・放火・再建といった物理的な理由とともに、宗教的な遷移も大きく関係しています。

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遷移した崇拝の対象

ギリシャ神話に登場する神々のひとりである、女神アルテミスを祀って建立したとされるエフェソスのアルテミス神殿が、その姿をそのまま残し、当地の人々の間で崇拝の対象となっていた時期、当地を含む小アジア、ひいては古代ギリシャでは、ギリシャ神話に登場するような神々への信仰が主流でした。多くの神が登場するギリシャ神話の物語のとおり、「多神教」ともいえる信仰が広く浸透しており、ゼウスやオリンポスが高位の神であったことから、「オリンポス教」ともいえる信仰が一般的でした。現代でいうトルコの地域に建設された都市であるエフェソスは、商業的にも思想的にもヨーロッパ世界とアジア世界の接点となるような地域性を持っていたこともあり、多神教の発信地ともなっていました。

 

多神教の象徴としてのアルテミス神殿

多神教は、農耕民族である日本における自然崇拝と同じような側面ももっていたようで、雨ごいや天災回避祈願などの際にも、神殿を活用した儀式がおこなわれていた、とのことです。当時信じられていた多神教に関係して、オリンポス神殿などの神殿が各地に建設されていましたが、その中でも規模ににおいても荘厳さにおいても、抜きんでた存在を目指していたアルテミス神殿は、まさに多神教の象徴ともいえる存在でした。こういった存在であったことも関係して、当時生きていた多くの人々の信仰や耳目を集め、常に多くの参拝者でにぎわい、それがゆえに時には放火や破壊などの標的としても取り扱われるようになっていきました。そんな中で後年、信仰の大きな転換期を迎えていきます。いまや世界の三大宗教に数えられる信仰のひとつ、キリスト教の広がりです。

 

キリスト教の浸透とアルテミス神殿の衰退

エフェソスには、当時生きていた人々の価値観にマッチしたのか、小アジアの中でも、比較的早いタイミングでキリスト教が広まっていった、といわれています。聖書には、すでにエフェソスの教会に関する記載がみられますので、その歴史は相当に早い時期から築かれていた、と思われます。キリスト教以前には多神教の象徴的な存在であったアルテミス神殿は、象徴であったがゆえに、破壊されるべくして破壊されたのではないか、と考えられます。

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カテゴリ: その他

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