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ファラオの杖が語るもの…ツタンカーメン王の死因の新説

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古代エジプトの王の中でも、エジプトはルクソールの王家の谷で、約5000点もの副葬品と共に見つかったツタンカーメン王は、世界的にも知名度のある王のひとりです。さまざまな調査により、9歳で即位した後、19歳で亡くなってしまった、ということがわかっています。ツタンカーメン王は、知名度があるがゆえに、その死因についても、事故説や虚弱体質説、暗殺説など、諸説語られていました。そのなかでも虚弱体質説は、近年になってエジプト考古最高評議会のメンバーを中心とした、現代科学を駆使した調査がおこなわれた結果であり、有力な死因としての根拠も多数見つかっています。

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内反足、欠指症、骨疾患、マラリア

調査は、ツタンカーメン王のミイラに対して、DNA鑑定やCTスキャン、遺伝子指紋法などの最新技術を使っておこなわれたのですが、多くの先天的遺伝的な疾患が見つかっています。調査によると、左足は内反足であったこと、右足は欠指症であったことから、常に杖をついて歩く必要があったことがわかっています(事実、ツタンカーメンの墓からは、使用した形跡のある多数の杖が見つかっています)。

 

フライバーグ病も患っていた

また、フライバーグ病(第2ケーラー病とも呼ばれ、足が中足骨頭が圧迫力がかかる形状になってしまっていて、悪化すると骨頭部に壊死を起こす病気)をも患っていたことがわかっています。このため、外的な足の変形に加えて、激しい痛みも伴っていると考えられ、そのため杖をついて歩くことが不可欠だった、と考えられます。さらに、側頭葉てんかんという疾患も認められ、足の不自由さと相まって、転倒や転落といったアクシデントにも多々見舞われた、と思われます(このためミイラからは、大腿骨の骨折も認められています)。

 

近親交配による先天的な疾患

前述のような疾患を抱えているうえに、免疫不全の状態であったことも、調査の結果判明しています。この原因は、父母の近親交配が原因である、とされています。DNA鑑定により、ツタンカーメンの父はアメンホテプ4世(紀元前1351~1334年)という新王国時代の王族であり、母はアメンホテプ4世の同父同母の姉妹であることがほぼわかっています。このためツタンカーメン王は先天的遺伝的な疾患を生まれつき抱え、転倒か転落により大腿骨を骨折し、さらにマラリアにかかってしまったが、免疫不全のため治癒できず、死に至ってしまった、と推測されています。なんとも不幸な一生ではありますが、現代においてもその名は広く浸透しているため、古代エジプトの王として、永遠に人々の記憶に残り続ける、といったことには成功している、といえそうです。

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カテゴリ: その他

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