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獅子舞の2種類の系統:伊勢大神楽の獅子舞とは

獅子舞

獅子舞は、室町時代から戦国時代に始まった伝統芸能で、かつ日本全国で様々なバリエーションのある最も種類の多い伝統芸能だと言われています。

別の記事で簡単にご紹介しましたが、その起源にはひとつは獅子舞を舞い伊勢神宮の神札を配りながら諸国を巡った「伊勢大神楽(いせだいかぐら)」の系統、別の系統では中世に始まった「風流踊」をもととするものがあるとされています。
その大きな違いは、「二人立」と「一人立」というもの。伊勢大神楽の系統は二人立で、つまり獅子の身体のなかに2人以上の演者が入って演じます。一方、風流踊の系統は一人立と呼ばれ、ひとりの演者が獅子を演じるものです。

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獅子舞のルーツは古代より大陸を遠く渡って来た

伊勢大神楽の二人立の獅子舞は、古代の舞楽や伎楽、あるいは散楽から派生したと考えられています。

日本の舞楽は、中国大陸から渡って来た様々な楽舞をまとめて発展させたもので、日本に伝来したのは6世紀の頃。また伎楽は7世紀頃に中国大陸の呉の楽舞で、西域やインド、東南アジアなど多様なルーツを持つとされ、伎楽面をつけて演じられる仮面舞踊劇です。

また散楽とは、奈良時代に大陸から伝わって来た芸能で、軽業や曲芸、奇術や幻術、人形まわしや物まね、踊りなど、現代の芸能につながる庶民に娯楽を提供する大衆芸能でした。そのルーツは古代エジプトやギリシャやローマ、西アジアからシルクロードを経て中国、日本へともたらされたと考えられています。

シンボルとしての獅子=ライオンそのものがエジプトや西アジア、インドから伝わって来たことと合わせると、獅子舞の距離的なルーツはとてもスケールの大きなものだったわけです。

 

 

獅子舞は伊勢参詣のPRのアトラクションだった!?

さて、伊勢大神楽の獅子舞の起源は諸説あり、飛鳥時代にまで遡るともいわれています。一説によると、672年の壬申の乱のとき、反乱を起こした大海人皇子が桑名(三重県桑名市)に来た際に村人が獅子舞でお慰めしたことに始まるそうで、この伝承が正しければ力の象徴としての獅子による舞いがすでに日本にあった、あるいは伝わっていたということになります。

その後、時代が下って室町時代の頃になると、伊勢神宮の「御師」が諸国を歴訪して伊勢信仰を広め参宮を勧誘する活動が盛んになり、伊勢大神楽はその御師の配下として諸国を巡って獅子舞を舞い、伊勢神宮の神札を配ったということです。つまり伊勢大神楽の獅子舞とは、伊勢神宮をPRするためのアトラクションだったわけですね。

ちなみに「御師」というのは、神社の別当寺に所属した社僧や下級の神職のことで、平安時代の頃から御師と呼ばれて参詣者の案内や宿泊、祈祷などの世話をした人たちのことです。

 

 

伊勢から幸福をもたらすために訪れた獅子舞

戦国時代が終わり平和な江戸時代も中期以降になると、遠方から伊勢神宮を参詣する“お伊勢参り”が一大ブームになります。その参拝者は年間数百万人にもなったとも言われていますが、それでも庶民の交通手段といえば歩くしかない江戸時代に、例えば江戸から伊勢まで行くには片道15日はかかるという大変な旅で、費用もばかになりません。

そこで、伊勢にお参りに行きたくとも行けない人たちのために、伊勢大神楽の獅子舞がやって来て神様が祝福に訪れたとして、庶民のために豊穣や幸福をもたらす舞いを舞ってくれたわけです。

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