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陰陽師・安倍晴明神が生まれた背景~神をもてなす安倍氏の系譜

刀剣伝説
 
不世出の陰陽師・安倍晴明の生誕の謎を探るうえで、もうひとつ避けて通れないのが晴明はなぜ「安倍氏」なのかということです。

安倍氏は平安時代に「阿倍氏」から改められた「氏(うじ)」で、もともとは第8代孝元天皇(BC3世紀から2世紀?)の皇子である「大彦命(おおひこのみこと)」を祖とする皇別氏族、つまり天皇の一門で臣籍降下した一族です。大彦命は四道将軍のひとりとして、北陸に派遣されたと言われています。また阿倍氏のほかに「膳(かしわで)氏」「高橋氏」「阿閉(あへ)氏」「伊賀氏」など7氏の祖とされています。

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このように阿倍氏は大変古い氏族で、大化の改新では阿倍倉梯麻呂(くらはしまろ)が左大臣となり、蝦夷を討ちその後に百済救援の白村江の戦いで朝鮮半島に渡った阿倍比羅夫(ひらふ)は将軍であり、また奈良時代に遣唐使の留学生として唐に渡った阿倍仲麻呂など、歴史上著名な人物が出ています。

 

海人族だった?阿倍氏

「白村江の戦い」が起こったのは飛鳥時代の天智2年(663年)のことで、この戦いには阿倍比羅夫ともうひとり安曇(あずみ)比羅夫が将軍となって派遣されました。つまり2人の比羅夫がいたわけですが、阿倍比羅夫と安曇比羅夫には関係があるのでしょうか?

「安曇氏(阿曇氏)」といえば、海神である「綿津見命(わたつみのみこと)」を祖神とする古代の海人族なのですが、安曇氏と阿倍氏は同族とする説があります。また安曇氏は律令制のもとで天皇の食事と配膳や食料の調達を行う「内膳司(ないぜんし)」という役所の長官であり、阿倍氏と祖を同じくする膳氏、高橋氏と同僚でした。

内膳司やそれ以前の膳職(ぜんしき)の仕事というのは、古来より神に供される「御贄(みにえ)」には海産物が主に供えられたことから、海人系の氏族の役割とされていました。一方で阿倍氏や阿閉氏の「あへ」とは「饗(あへ)」のことで、「饗」は「饗応」つまり「おもてなし」のことです。もてなしには「食」が大きな役目を持っていて、また外部の勢力に対する「外交」という意味合いもあります。

これらのことから、阿倍氏や安曇氏、また膳氏、高橋氏や阿閉氏は「食」と「外交」に関わる海人系の氏族であり、特に阿倍氏と安曇氏は海人族として船を用いた外部との戦いに関わる軍事的側面も持っていたということが推測されています。

 

阿倍氏は巫術系の氏族でもあったのか?

古事記・日本書紀に語られる神武天皇の東征では、大和の宇陀を討つ際に神武の軍にも、また相手の兄宇迦斯(エウカシ)と弟宇迦斯(オトウカシ)の兄弟の軍にも、「男軍(おいくさ)」と「女軍(めいくさ)」が編成されていたと言います。この「女軍」とはじつは、戦いで神の意志を問う巫女の集団のことなのです。

古代の軍事的な氏族には、必ず巫女などが神事や呪術を行うという神秘的な側面があり、それは神への食の饗応にもつながるものでした。「饗(あへ)」とは、普通の人間とは違うもの=神のことでもあり、その神と交信し祈願することを意味しています。例えば石川県の能登地方では「饗のこと」という豊穣を祈願する祭礼があり、「饗」は田の神様を意味しています。

「饗(あへ)」の名前を持つ阿倍氏は、海人系の氏族であり軍事・外交の氏族であると同時に、神とつながる「巫術(シャーマニズム)」系の氏族であったとも考えられるのです。

ですから、安倍氏から晴明が出て、それから陰陽師の氏族である「土御門家」へとつながるのは、古代から続く大きな理由があったと言えるのかも知れません。また、安倍氏の系図で安倍晴明の父とされる安倍益材は、大膳大夫という朝廷で臣下に饗膳を供する役所の長官とされていますし、安倍晴明自身も天文博士であると同時に大膳大夫にもなっていて、「饗(あへ)」や「食」に関わる役目を持っていたのです。

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