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座敷わらしは子供の幽霊?伝承から浮き上がる哀しい起源

座敷わらし

 

住み着いている家に富みをもたらす座敷わらし。福をもたらす小さな童子の神様や精霊というイメージなのですが、その座敷わらしの起源としてとても哀しい話もあります。
座敷わらしが登場する「遠野物語」を著した柳田國男に、遠野の伝承を語ったのは佐々木喜善という人ですが、その後、座敷わらしについての研究を行います。そのなかで彼は、座敷わらしは家の中に埋葬された幼い子供の霊なのではないか、という説を出しています。

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家や村の生け贄となった座敷わらし

昔は、農村などで家が貧窮して食べるのも困るような状態になると、嬰児を間引くといったことも行われました。また、障害を持って生まれた子をその家や村で生け贄的にするということが行われたとも言われています。

 
佐々木喜善の説は、そういった子殺しによって家屋の中に埋葬された子供が、座敷わらしになって現れるということのようです。裕福な旧家に住み着いているとされる座敷わらしは、貧困からの間引きというより生け贄的な性格だったのでしょうか。

 
座敷わらしよりも低い存在とされる「臼搗きわらし」や「のたばりこ」は、臼が置いてあった土間や臼の下に埋葬された子供とも言われ、土間から座敷に上がって歩いたり臼を搗く音を立てたりするそうです。

 

 

普通の人間とは見なされていなかった童子

昔は、子供=童子という存在はまだ普通の人間(大人)とは見なされていませんでした。童子は12歳から16歳ぐらいで成人(武家では元服)して初めて、その家や村などから人間と認められたのです。
童子が神性を持った存在とも考えられていたというのはそういう理由からでもあり、家や村などのしきたりやルールから外れて自由に振る舞うことも許されていました。

 
ですから子供のうちに亡くなっても、家の外の墓地などに祀られるのではなく、家の中に密かに葬られたということもあったようです。特に障害を持って生まれ生け贄的にされた童子は家の守り神とされて、それが座敷わらしとなったということなのかも知れません。

 

 

家の奥深くに祀られた童子

座敷わらしは、裕福な旧家の奥座敷に現れると言います。旧家の奥座敷はその家の守り神が祀られる場所ですから、そこに住み着き自由に歩く座敷わらしは家の奥深くに葬られた童子だったということなのでしょうか。

 
遠野物語には、旧家で裕福な山口孫佐衛門という人の家に2人の女の子の座敷わらしがいたのですが、ある日その家を出て別の村に移ってしまい、山口孫佐衛門の家は7歳の女の子だけを残して主従20数人が毒キノコにあたって死んでしまったということが記されています。
7歳の女の子が助かったのは、その日は外で遊んでいて昼食を食べに帰るのを忘れて毒キノコにあたるのを逃れたということで、座敷わらしがこの女の子だけを助けたのでしょうか。

 
また山口孫佐衛門という人は村には珍しい学者で、かつ変人だったので、キツネと親しくなって家の庭に稲荷の祠を建ていつも拝んでいたといいます。もしかしたら、大切にすべき本来の家の守り神や座敷わらしをないがしろにしたので、2人の女の子の座敷わらしは出て行ってしまったのかも知れません。

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