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見えないエネルギー(気)を測る計測器とは

目に見えないエネルギーがあったとしても、計測器がなければどうしようもありません。また計測器があるとすれば、どうして目に見えないエネルギーなどと言うことができるでしょうか。これらの矛盾をかかえながら、私達は出発します。どのようなものも想像力と推理、そして考えることでしか糸口は見いだせません。

瞑想


気や光と呼ばれる見えないエネルギーと見えるエネルギーの違い

最初の推理は、私達が知っている物質のエネルギーと、気や光と呼ばれる見えないエネルギーの違いは何なのか?ということから始まります。それは単純で、物質は目に見え計測可能で、一方、見えないエネルギーは心の領域に属して捉えることができない、となるでしょう。しかし、ここにどれだけの違いがあるのでしょうか。

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物理法則をみてみましょう。すなわち、私達の科学が発見したものから推理をしていきます。この宇宙は、ビックバンと呼ばれる大爆発によって誕生し、膨張を重ね、現在の宇宙にまでなったと云われています。なんとも神秘的な話です。まるで宗教のようです。

小さな点からはじまり、現在の大きな宇宙にまで成長したというのです。これらは、やがて膨張が終わり、逆に縮小をはじめ、いずれ消滅するかもしれません。消滅の後には、またビックバンがあり、誕生の時を迎えるという具合に。そう考える科学者は、少なからずいます。宗教で云われるところの、人の生まれ変わりのように…。

また、この誕生と消滅の繰り返しは宇宙ばかりではなく、銀河系、太陽系、惑星にいたるまで、全宇宙のあらゆる法則の基礎になっています。人が誕生し、成長し、大人になって老人となり、死んでまた生まれ変わるという具合に。

さらにこれらは、人や星々だけのことに限りません。文明や国家を見てみましょう。永遠として続いた文明などありません。すべての文明や国家は、誕生し、成長し、衰退して消滅し、さらにまた誕生の日を迎えるのです。

歴史を勉強すれば、すべての文明には、戦争での戦死や病死などを除き、幼少期、成長期、成熟期、衰退期というものをみるでしょう。文明や国家といえども、私達人と同じではないでしょうか。いえ、人と同じというより、この世界には普遍的な法則がある、という事実を推理することができます。

科学と見えない世界、ここにどれほどの違いがあるのでしょうか?あらゆるものには重力が働いています。銀河系は、宇宙全体の重力から逃れられず、太陽系は銀河系の重力から逃れられません。

地球は、太陽の重力につかまり、月は地球の重力から自由にはなりません。これらは、もしかしたら懸命に逃れようとしているかもしれないのですが、逃れられないのではないでしょうか。

あるいは人を見てみましょう。私達は様々な欲望につかまり、それから自由になることができません。お金、性欲、物欲、自尊心など。私達すべては、本当は自由を求めており、その自由を獲得するための戦いを繰り広げている!という見方はどうでしょうか。

すべてのものは法則に縛られている。このような見方が可能だとすれば、それは見えるエネルギーだろうが見えないエネルギーだろうが、どこが異なるというのでしょうか。飛躍して推理すれば、心の世界の反映が、私達が宇宙だとか世界と呼んでいるものではないのでしょうか。私達が自分自身のことをよく知るために、宇宙や自然というものが存在する、とまで考えられます。もっといえば、自由を得るための学びのために自然界は存在するのではないかと。

これは私の推理に過ぎません。ただ、私は私の心しか知りません。誰も、他人の心や自然の心など知りえないでしょう。私達には、自分自身の心しか実験台として使えません。宇宙や自然の法則は、科学者に任せておきましょう。さあ、そして、この心を知るという作業こそが、全宇宙のあらゆることを知る以上に祝福に満ちているのだとすればどうでしょうか。たとえ、宇宙のすべてを知ったとしても私達の心が不幸であれば何にもならないのですから。

計測器は、私達の心以外にはありえないかもしれません。これだけは、すべての人が平等に持っており、これこそがかけがえのないものです。心の領域が、すべてかもしれないのです。

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カテゴリ: 気功

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