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気を使い相手の体に触れずに投げ飛ばしたり、宙に浮いたり

以前、意拳と呼ばれるものに凝っている人がいました。意拳とは、中国の王向斉という武術家が作りあげた武術で、逸話によると、彼は相手の体に触れずに投げ飛ばすことができたといいます。修行をし、気をコントロールしたものと考えられます。まるで、ドラゴンボールのような世界です。

Senior Woman Doing Qigong 1

ヨーガでは別に、修行の途中で空中に浮かんだりする人がいます。これを聞くとどっかの宗教を思い出す人もいるかと思います。ただし、空中に浮かぶという行為は、ヨーガでは伝統的に一つの技術に過ぎません。

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スプーン曲げをして有名になった人もいますが、その中には気を使った人もいたことでしょう。オーラを見たり、霊などの声を聞く人もいます。

これらの多くが、目で見えないエネルギーを使っています。しかし、ここではそのようなエネルギーの使い方を対象としません。空中に浮かんだとしても、それはどの種類の寸劇ですか。せいぜい見世物小屋ができる程度です。

スプーンを曲げたとしても、単なる資源の無駄遣いに過ぎませんし、オーラが見えたところで無駄なお喋りが増えるぐらいでしょう。そもそも宙に浮いて、いったい何が嬉しいというのでしょうか。

正当な気功やヨーガが、その対象とするのは自分の心です。内面です。「人智を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、その通りなのです。

自然は、決して私達の思いどおりには動いてくれません。他者の心は完全に理解することは不可能ですし、他者の心を支配することは更に叶わぬ夢でしょう。どんなに叶えたいことがあったとしても、叶えられないことがあることも私達は学んでいきます。

これらは外側の世界のことで、そちら側は私達の力が及ぶ範囲ではないのです。時には思い通りになり、成功し、時には挫折してコテンパンに打ちのめされる、これを繰り返すだけのことです。

内面は違います。この世界だけは、努力次第で私達の力が及びます。徐々にですが、前進することができるのです。エネルギーの活用とは、宙に浮かんだり跳ねたりすることではなく、まず自分のエネルギーとはどういうものかを知ることからはじまります。

例えば、気が強い人と弱い人がいます。これはいったいどういう意味でしょうか。あるいは、いつも元気いっぱいの人がいると思えば、逆に沈んでばかりの人もいます。どうでしょう。見えないエネルギーがあるのだとすれば、それはエネルギーの質と量いうことになるのかもしれません。

気が強い人は、エネルギーの質が原色のようにはっきりしていると予想でき、逆に気の弱い人のそれはパステルのように淡いでしょう。常に元気な人は、エネルギーに満ち溢れている人と考えられます。元気な彼らは、見えないエネルギーの活用法を生まれながらに知っているか、あるいはよく学んできた人達なのかもしれません。

もちろん、なにもパステル質の人が悪いわけではありません。彼らの中には優しい人が多いでしょう。同時に、弱点があることも知らなければならないのです。

次に躁鬱を見てみましょう。躁と鬱はパッケージである、ということは多くの人が知っています。躁はハイテンションであり、エネルギーを激しく消耗します。激しく消耗した後には、エネルギー不足がやってくるのは当然ではないでしょうか。

また、休息してエネルギーが貯まればハイテンションとなり、これを繰り返すのが躁鬱と呼ばれるものです。これら躁と鬱の状態を観察してみますと、どちらも我を忘れていて、狂気の状態であることに気付かされます。ハイテンションは恐るべきエネルギーの消耗であり、常軌を逸しているのだと。

これが気功であり、ヨーガなのです。本当の気功やヨーガは、魔法を使えとはいいません。自分の内面を知り、エネルギーの状態を観察せよ、というのです。観察して学ぶことにより、より健康的に、より元気になります。エネルギーの上手な使い方を教えてくれるというわけです。気功やヨーガは内面の科学なのです。

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カテゴリ: 気功

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